じじぃの「虚像の偉人伝・野口英世!本当はどうなんだろう」

野口英世(1000円札) 画像
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野口英世 画像
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『正伝 野口英世 北篤/著 毎日新聞社 1980年発行 (一部抜粋しています)
学者として最高の栄誉に輝き、年齢も50歳を越して、野口はなお安らぎを与えられなかった。生涯を見渡しても、凄まじい光を発するかと思えば、たちまち嵐と激浪に見舞まわれている。大きな賭けに生きたから、とも言えようが、単にそれだけではない。太閣秀吉にたとえられ、また当人がナポレオンに憧れたり、世間普通の軌道を辿れぬ運命らしい。
「アフリカの黄熱病はどうなのか、ブラジルのとは違うのか、確かめてみるしかないでしょう」
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彼は研究半ばで死んだから、「死人に口なし」で、野口学説もこれまで誤りとされてきた。その理由として、いま黄熱病の病原体はウイルスとはっきりした。野口はイクテロイデスとし、ワイル氏病と混同したとする。ウイルスは電子顕微鏡でしか見えず、1931年に発明された。野口は1927年にアフリカへ行ったので、科学史上の限界とする。果たしてそうか、筆者は医学など門外漢ながら、考え方の上で皮相なものにぶつかる。
まずアフリカの黄熱病について、南米の病原体とは質的に違う、と気付いている。チルデン嬢への手紙で、「濾過性微生物」としており、これこそ注目すべきである。ウイルスは濾過性だし、彼はそれを敵の正体と看破ったのである。しかもそれらを接種して、同一の病変を起こす、と突きとめている。これこそ黄熱病の病原体でなくて、何と言えようか?! 従って南米時代の研究からみて、質的に前進しており、人々はこれを見落としている。ウイルスは1892年、たばこモザイク病から、存在を認められてきた。野口はそれを承知だし、相手を濾過性の微生物と呼んだのである。従って野口はここまでわかっても、顕微鏡で見ていない以上どうか。病原体とはしないだろう、という人があるが、勝手な推定になる。まして野口はニューヨークで、最後の詰めをやろうとしていた。
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病状は一進一退で、18日はかなり好転したように見えた。研究所の様子を聞きたい、と積極的な意欲を示した。発病してから、もう7日である。周りの人たちに、「どうやら峠を越せそうだ」と喜ばせる。10年あまり前、腸チフスの時も、異常な強靭さで危機を脱している。
ところが翌19日の朝、てんかんめいた発作をおこした。ひきつり震える姿に、皆が強いショックを受ける。3分ほどでおさまり、その後はうとうとし、衰弱が目立っている。うとうとしながら、目を閉じたらそのまま・・・・・と恐れるらしく、眠るまいと努める。まだ意識は確かで、目をさますと話しもする。
「あの方の場合、何事も長くかかり、私らとは違う」
ある者がそう言い、抜群の生命力を示すことらしい。この日の午後、ヤングが見舞いに訪れた時である。ヤングは野口の片腕となって研究し、野口は発見の秘密をも知らせていた。近づいてくるところを見わけ、嬉しそうな表情になり、かすかな声で尋ねた。
「君は・・・・だいじょうぶかね?」
アカゲザルが黄熱病で死ねば、解剖は野口がやり、ヤングにはさせないできた。
「私は元気ですとも」
「そう、ほんとうに・・・・元気ならいい」
それからしばらくして、ぽつりともらした。
「僕には・・・・・わからん」
何がわからぬのか、感染の理由が不明というのか、あるいは前に黄熱をやっていながら、またかかったのはおかしい、というのか・・・・・細菌学徒らしく、これが彼の最後の言葉という。

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『人はなぜ騙されるのか―非科学を科学する』 安斎育郎/著  朝日新聞社 1996年発行
虚像の偉人伝 (一部抜粋しています)
浪費癖、借金王、ずぼら、女遊び、お調子者、厚顔無恥、コンプレックス、自己顕示、名誉欲、傍若無人、負けん気、つっぱり、人間発電機、直情径行、熱血漢、頭脳明晰、集中力、語学力、演説上手、自信過剰、冷淡、報復心、東大嫌い、敵対心、栄誉人間、ナショナリスト、英雄、母親孝行−−一人の人間の性行を形容するためにこれだけの言葉を並べたら、混乱するに違いない。しかし渡辺淳一氏の『遠き落日』を読めば、そこに見る野口英世像はこんなものだろう。
偉人伝に見る野口像は、キューリー夫人と並んで文句なしの「苦学の国家的英雄」である。だが、渡辺淳一氏は、かっての日本の歴史が、歴史家によってゆがめられたように、模口の一生も、伝記作家によって大きくゆがめられ、実際の野口とはまったく別の野口がつくられたのである」と書いた。日本人の心の中の野口像は、幻なのだ。
以前、ある機会に、科学者も「幻視の世界」に足を踏み込む危険が免れない例として野口英世も引き合いに出して論じたところ、一人の読者から「人類の科学の発展は貴電の言う『幻視』の累々たる屍の上に築かれて来たのです」という非難の手紙が来た。科学者が、不十分な観測事実や限られた実験技術ゆえにしばしば錯誤に陥ったことは周知の事実だし、そうした錯誤の積み重ねが科学的真実を手にする上での貴重な前段階を画したことなどは、常識に属することだ、筆者はそんなことを問題にしているのではない。
細菌学が顕微鏡を観察手段とした時代の野口が「黄熱病ウイルス」を発見できなかったのは、ある意味では当然だった。問題は、野口がどうして「黄熱病の病原菌を発見した」という錯誤に異常なほど執着したのかである。その誤謬は、科学界によくある話というにはあまりに「野口的」なのだ。大酒飲みのぐうたらな父親をもつ恵まれない家庭環境の中で、貧困と障害に苦しめられながら、悔しさをバネに、何としても偉くなりたい一心で学者になった野口は、名誉にこだわり、権威をかざし、反対者を敵視し、主観に拘泥するあまり、過ちを認めるに潔(いさぎよ)くなかった。(あなたが発見したと称する病原体は)「単なる雑菌ではないか」とドイツで若い研究者に批判された野口は、耳を傾けず、「若造のくせに」とか、「大した研究歴もないくせに」といった理由で制圧した。過信の末にはまり込んだ泥沼にズブズブと足を取られ、晩年には、自分の思いこみを正統化するために予断をもって顕微鏡を覗くに至り、果ては、自らが開発した「黄熱病ワクチン」なるものの効用を過信して宿敵「黄熱病」に斃(たお)れた。
医学徒・渡辺淳一氏は、細菌学の教科書にあの偉大なる細菌学者「野口英世」の業績が全く出てこないことに奇異を感じ、関心を染めた。「壮大なるゼロ」という言葉があるが、野口に見る毀誉褒貶の落差の凄まじさは、「科学界によくありがちな幻視」と言って片付けられるほど尋常な事例ではないのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『人はなぜ騙されるのか―非科学を科学する』という本に「虚像の偉人伝」が載っている。
虚像の偉人とは野口英世のことだ。
「細菌学の教科書にあの偉大なる細菌学者『野口英世』の業績が全く出てこない」
1000円札の肖像に野口英世が出ている。
彼はアフリカ・ガーナで黄熱病原を研究中に彼自身も感染して死亡した。
彼の主な研究成果としてあるのは「梅毒スピロヘータ」の発見のみである。彼が発見したとされる「小児麻痺」の病原体、「狂犬病」の病原体などはウイルスであるとして、後に否定された。
  
アメリカ・ニューヨークにあるロックフェラー大学の図書館入り口の双方には、ロックフェラーと、ロシア人彫刻家カニョンコフが制作した野口英世の胸像がある。この像はロックフェラー財団からの贈呈を受け、福島県猪苗代町にある野口英世記念館と東京都にある野口英世記念会館にも設置されている。
                           ウィキペディアWikipedia)より
西郷隆盛西南の役で多くの青年を道連れにした。
元フィリピン大統領夫人のイメルダは3000足の靴を揃えていた。
スターリン毛沢東は大躍進の名のもとに自国民を大量虐殺した。
ロックフェラー大学にある野口英世の胸像は梅毒スピロヘータの発見のみで設置されたのだろうか。1000円札の野口英世はどんな根拠から出てきたのだろうか。
もしかしたら、野口英世は偉人になりそこねた人間の一人として扱われる人物なのかもしれない。