じじぃの「脳死は人の死?本当はどうなんだろう」

【キャリアブレイン】脳死と臓器移植、宗教者はどう考える 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=K6KOZHz-Vsk
臓器移植法に改正が必要な理由 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=lU2p7u0BxCE&NR=1
『老い方、六輔の。』 永六輔/著、矢崎泰久/構成 飛鳥新社 2004年発行
脳死は絶対に、人の死ではない (一部抜粋しています)
−−永さんは、子どもの教育に「命」を考える科目が必要だと言ったけれど、それは言い換えれば、おとながこれまで「命」について、ロクな議論をしてこなかったということですね。たまに、臓器移植が話題になったりはするけれども・・・・。
たしかにそうです。臓器移植の問題にしても、医者の多くは脳死を命の終りと考えていますが、宗教家は絶対にそうは考えません。あらゆる細胞が生きようとしている間は、「命」がそこのあるんですよ。ところが、身体がまだ温かいうちに臓器を取らないと意味がないからと、医療現場の論理だけが先走ってしまう。
うちの母が亡くなった日は、ちょうど日本で初めて臓器移植が行われた日なんです。
日本初の脳死が認められて、飛行機で運んだりしている最中に母は亡くなりました。医師がぼくに、母が脳死状態になったのを教えてくれました。「あ、脳死ですよ」って。
ところがそのときは、まだ、あったかい。しかも「お母さーん」と言うと、母は、ぼくのほうに顔を向けようとする。そのときもし、別の医者が来て、「じゃ、いただきます」って内臓を持っていこうとしたら、ぼくは張り倒しますよ。もし、母がドナーのサインをしていたとしても、ぼくは絶対認めなかったと思います。
−−ドナーになる本人だけでなく、家族にとっても、「命」は共有する問題だということですね。
だからドナーになる人は、自分が死んだときに、残された家族がどう思うかも考えて、サインをしたほうがいい。
たとえば、本人が生前、家族が知らないところで、バナーになるサインをしていたとするでしょう。死んでから、家族はそれを、移植コーディネーターに知らされる。死に直面して動転しているときに、説得されるわけです。「臓器提供する人は立派で、しない人は利己的だ」という無言のささやきと一緒に・・・・。臓器移植を拒んだときに、マスコミに知られはしないだろうかと考える人もいるかもしれない。
そういう状況のなかで、家族がしかたなく同意してしまう、というケースも考えられないわけじゃないでしょう。
そもそも臓器移植というのは、キリスト教社会の考え方が背景にあるんです。キリスト教では、亡くなると、魂が肉体を離れて天に召される、と考えるでしょう。残された遺体は魂の抜け殻だから、臓器を取り出すことにも、それほどの抵抗はないんです。
ところが仏教では、魂は草葉(くさば)の陰に行く。いつでも戻ってこられるから、お盆になると迎え火をたいてお迎えして、一緒に盆踊りをする。もし、いろんな臓器をとってしまったら、盆踊りもできなくなってしまいますよ(笑)。
−−まあ、ドナーカードにサインした人は、ヒューマニズムというか、誰かの役に立てば、という思いからなんでしょうが。
もちろん、臓器をあげたいという人たちの気持ちはとても尊いし、大事にしなければならないと思います。臓器を待つ患者さんの気持ちもわかります。待ちきれなくて、何千万円ものお金をかけて海外に行く人もいますし。
でも、そうやって苦労して行った臓器移植先進国では、臓器のブラックマーケットがあって、臓器を高額で売る「死の商人」がいたりする。貧しい家では、子どもの臓器を売るという痛ましいニュースも伝えられているんです。
こうしたことをすべて、もう一度考えて、命についての議論をするべきですよ。日本では本質を議論しないから、哲学がない、宗教心もない、教養も智恵もない。それで、とりあえず形だけ欧米の真似をして、法律を作って、右往左往しているんです。何も議論しないまま臓器移植を続けていけば、きっと、もっといろいろな問題が起こってくるはずです。
ぼくがいま思うのは、どうして、これだけ科学技術が発達しているのに、もっと人工臓器の開発に、お金や時間をかけないのかということです。優れた人工臓器が開発されれば、臓器移植で問題になる拒絶反応の心配もなくなるかもしれない。そしてなにより、誰かが死ぬのを待っているというような、気兼ねをしなくてもすむようになるでしょう。

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どうでもいい、じじいの日記。
永六輔著『老い方、六輔の。』という本の中に「脳死は絶対に、人の死ではない」がある。
医学が進んで「脳死は、人の死」というのが人間の共通認識と思っていた。
「医者の多くは脳死を命の終りと考えていますが、宗教家は絶対にそうは考えません。あらゆる細胞が生きようとしている間は、『命』がそこのあるんですよ」
ガリレオが「それでも地球は回っている」と言った。
今度は「それでも人は生きている」なのか?
ドナーカードにサインした人は、ヒューマニズムというか、誰かの役に立てば、という思いからなんでしょうが」
臓器を提供しようという人の心は尊いもののように思える。
脳死は絶対に、人の死ではない」
こんな考えの人もいるんだ。
よくわからん。