じじぃの「ネロの愛人!本当は恐ろしいほど残酷な」

Michael Sheen as Nero in ancient rome 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9rNW5WWmduk&feature=related
Julia Agrippina Google 検索
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次回の知ってるつもり?!
2001/8/12 放送 「史上最悪の母子 暴君ネロと母アグリッピナ」
結婚9年目にしてアグリッピナにようやく命が宿った。
女手一つで息子ネロを育てた彼女は、彼を皇帝にする野心に燃え、秘密工作、粛清、殺人…と、あらゆる策謀に手を染め「悪女」と呼ばれた恐るべき母親になった――!
愛する息子を皇帝にするために、かつてのライバルたちをはじめ、反感を抱いているとみなした側近たちをも次々と追放や処刑に追い込んでいく…。
そして遂に息子を皇帝にのし上げる。
だが、その倒錯的ともいえる愛情の果てに悲劇は起こる。
彼女は、息子ネロの手によって殺害されたのである――
ネロが生きた時代は、ローマにとって最良の時代といわれた文明の爛熟期だった。
ネロとアグリッピナはこの時代が生んだ“歪んだ母子関係”の悲劇ともいえる!!

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ユリア・アグリッピナ ウィキペディアWikipedia) より
ユリア・アグリッピナ(西暦15年11月6日-西暦59年3月19日-23日)はローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝の皇族。後にユリア・アウグスタ・アグリッピナと名乗る。
皇帝ネロの母親として知られている。父はゲルマニクス。兄に第3代皇帝カリグラがいる。
【ネロの時代、そして暗殺】
ネロを帝位につけた後、アグリッピナは政治に色々と口出しようと試みる。しかし彼女の横柄な干渉は、皇帝として独立心が芽生えてきたネロとの間に確執を生み、やがて嫌われて皇宮から蹴りだされ、最後にはネロの命令で暗殺されてしまう。
ネロはアグリッピナとともにネアポリス(現:ナポリ)に旅行し、近郊のバイエア(現:バーコリ)の別荘で母をもてなした。アグリッピナがバイエアとはナポリ湾をはさんで数キロメートルのパウリの自分の別荘に戻ることになると、ネロは豪華な船を用意してナポリ湾を遊覧して帰るよう勧めた。息子の提案にアグリッピナも従い、陸路で帰る予定をやめて、ネロが用意した船で帰ることにした。
ところが、この船は壊れやすいつくりになっており、船が湾の半ばに差し掛かると壊して沈没させる計画であった。ネロは母后を溺死させようとしたのである。しかし、この計画はアグリッピナが泳ぎが達者だったことで失敗する。アグリッピナは九死に一生を得たことを伝える使者をネロの元に派遣するが、ネロは使者が短剣を所持しているのを理由に、アグリッピナは刺客を送り込んだと罪を着せる。皇帝暗殺の容疑をかけられたアグリッピナは、パウリの邸宅で皇帝の派遣した近衛兵によって殺された。
殺されるときに、近衛兵たちに向かって、アグリッピナは、股(あるいは腹)に指をさし「刺すならここを刺すがいい。ネロはここから生まれてきたのだから」と言い放ったという。

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『眠れぬ夜の恐ろしい話―西洋残酷人物譚』 桐生操/著 大和書房 2000年発行
息子の愛人になった女 (一部抜粋しています)
のちの暴君ネロの母であるアグリッピナは、アウグストゥス帝やアントニウスクレオパトラの愛人)につながる、ローマ帝国屈指の名門に生まれました。つまりローマ帝国制覇を賭けて戦った宿命のライバル2人の血が、彼女のなかで交り合っているのです。
アグリッピナは12歳のときに、ドミティウス氏のグナイウスと結婚します。彼は残酷な男で、命じたとおり酒をのまなかったといって解放奴隷の一人を斬り殺したり、ローマ広場の真ん中で無礼を働いた騎士の眼をえぐり取ったりしたといわれています。
9年後にネロが生まれたとき、友人たちから祝福されたグナイウスは、「いや、わたしと妻のあいだには怪物しか生まれないさ」と皮肉ったいいます。じぶんより身分も気位も高い妻への、嫌悪を自嘲が感じられるセリフです。
有名な占星学者に赤ん坊の未来を見てもらうと、「この子はやがて皇帝になって、母を殺すだろう」という予言がなされました。それを聞いたアグリッピナは感激して、「皇帝になってくれるなら、殺されたってかまやしないわ!」と叫んだといいます。のちにこの不吉な予言は、すべて実現されることになるのですが・・・・。
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40歳を過ぎていましたが、アグリッピナはまだ自分の美貌に自信を持っていました。彼女が考えたのは、なんとその美貌を使って息子をあやつることだったのです。
彼女はネロが酒を飲んでいるところに念入りに化粧をして現れると、みだらな接吻や愛撫を浴びせては、息子の頭を錯乱させようとしました。横臥したまま母の愛撫を受けながら、ネロはつい、彼女が自分の母であることを忘れてしまいそうになることがありました。
それこそアグリッピナの思う壺だったのです。それにしても、野心のためなら我が子を誘惑することもいとわない母・・・・。いかにモラルが現代とは大きく違っていたといえ、やはり信じられない光景です。
心配したセネカは、ネロが母の誘惑に負けそうになるたびに、解放奴隷アクテを呼びにやり、その助けを借りたといいますが、それもどこまで役立ったことか・・・・。
セネカが邪魔をするのを知ると、今度はアグリッピナはネロを自分の邸に招いたり、同じ駕籠(かご)で散歩しているときなどに、巧みに息子を誘惑したといいます。
こうしてアグリッピナは、「母」から「愛人」に変身しました。ネロのほうはずっと恐れていた母という女が、彼の欲望に身を任せるただの女に転落したことに、異常な快感をおぼえていたのかも知れません。
スキャンダルは、たちまちローマ中に広まりました。やさしいアクテは、「このままでは今に兵士たちは、罪を犯した皇帝の命令に従わなくなってしまうでしょう」と真剣に説得しますた。ネロは今さらながらことの重大さを悟り、母と2人きりになるのを避けるようになりました。けれど、母との禁じられた快楽の思いではその後も彼に苦くつきまとい、ネロは母によく似た女を探して宮廷に呼び寄せては異常な欲望を満たし、そのあとで激しい自己嫌悪に襲われたといいます。
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3月19日から23日までのミネルヴァ祭のあいだ、ネロはナポリ湾の別荘バイエアに行くことになっていましたが、そこに母を招待することにしたのです。彼はその前に母と仲直りしたという噂を広め、やさしさに満ちた招待状を送りました。
ネロからの招待状を受け取ると、アグリッピナは浮きたつ思いで身仕度をしました。ネロが差し向けた豪華な船に乗っていこうとしていると、船は危ないという不吉な密告を受けたため、半信半疑で駕籠に乗って海岸沿いの道をバイエアに向かいました。
けれどネロは彼女を愛想よく迎え、抱きかかえんばかりに上座にすえて、彼女の疑いを消してしまいました。ネロは宴の座を楽しく盛り上げ、陽気にはしゃいだかと思うと、急に深刻になって打ち明け話をしたりして、宴を長く引きのばしたのです。
帰る時間になると母を途中まで送ったうえに、いつになく思いを込めて母をみつめ、その身体を抱きしめました。もしかしたら彼の氷のような心にも、母を殺そうとしていることへのかすかな後悔がよぎったのでしょうか?アグリッピナは幸福感で一杯になり、軽い酔いも手伝って、駕籠を呼ぶのも忘れてそのまま船に担ぎこまれてしまいました。星が美しく輝き、海上に早春の風が快く吹いていました。
ネロの策略なのか、船にはわずか2人の側近しか乗っていませんでした。そのうちの男のクレペレイウスは舵手のそばにおり、女のアケロニアは横臥したアグリッピナの足元で、「ようございましたね。やっともとのネロ様に戻ってくださったようで・・・・」などと嬉しげに話し掛けていました。そうするうちに、船は滑るように出発しました。
そのとき突然、多量の鉛で重くなった部屋の天井が落ちてきて、クレペレイウスは下敷きになって即死したのです。アグリッピナとアケロニアは臥床の枠板の背が高く頑丈だったので、辛うじて助かりました。
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事件のニュースが広まったバイアエ一帯は、松明(たいまつ)を手にした人々の祈りの声に満たされていました。やがてアグリッピナ無事の知らせが入ると、みな歓声をあげ祝いを述べようと別荘のまわりに集まりましたが、そのとき現れたアニケトゥス率いる武装兵士の一団に蹴ちらされてしまいました。
アグリッピナは別荘の周囲に番兵を配すると、門をぶち壊し、片っ端から召使を追い払い、ついにアグリッピナの寝室の入り口までやってきました。室内にはかすかな明かりがともって、侍女が1人いるだけでした。
寝台のうえで、アグリッピナは不安をつのらせていました。「息子からの使いもなく、召使のアゲルムスも帰ってこないとは、何が起こったのだろうか。さっきまでの静けさと今しがたの突然の騒々しさ。何か不吉な前ぶれかしら・・・・?」
そのとき微かな物音がしたのでうしろを振り向くと、あのアニケトゥスが三段櫂船の船長ヘルクレスと海兵隊百人隊長を従えて、不気味に立っていたのです。もう逃れようもないのを知ったアグリッピナは、寝台から少し身を起こし、気丈に言い放ちました。
「息子からの見舞いに来たのなら、もう快(よ)くなったと伝えておくれ、そうでないなら、息子がお前たちをよこしたとは思わない。息子が母を殺せと命じるわけはありません」
死客たちは黙ってぐるりと寝台を取り巻きました。まず船長が棍棒で彼女の頭に一撃を加え、とどめを刺そうと百人隊長が剣を抜くと、アグリッピナはあえぎながらも寝間着をまくって下腹をむき出しにして叫んだといいます。
「ここを突くがいい。ネロはここから生まれたのだから!」
アグリッピナの遺体は寝椅子に載せられ、すぐに火葬にされました。ネロの治世のあいだは墓石も建てられませんでしたが、ネロの死後彼女の召使いたちが、やっと小さな塚を建てたといいます。それは今も、ナポリ湾をはるかに見下ろすかってのカエサルの別荘の側にひっそりと立っています。アグリッピナの波瀾に満ちた運命をしのばせるかのように・・・・。
こうして、あの占星術師の予言は、達成されたのでした。

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どうでもいい、じじいの日記。
『眠れぬ夜の恐ろしい話―西洋残酷人物譚』という本を見ていたら「息子の愛人になった女」が出てきた。
息子とはのちの暴君ネロで、愛人とはネロの母親アグリッピナのことである。
ローマ帝国は初代ローマ皇帝アウグストゥス(紀元前63年〜紀元14年)から約1000年続いた。
イエス・キリストの生きた年代は紀元前4年頃〜紀元28年頃まで、ネロの生きた年代は紀元の37〜68年である。ネロはキリストが亡くなった約10年後に生まれている。キリストは約32歳、ネロは31歳で亡くなっている。
アグリッピナがグナイウスと結婚して9年後にネロが生まれた。ということはキリストが磔(はりつけ)され、亡くなった頃にアグリッピナが結婚しているのである。
キリストとネロはほぼ同時代に誕生し、ほぼ同じ年齢で死んだ。かたや、世界に大きな影響を与え続けている人物であるのに対して、このネロは何をしたのだろうか。
皇帝ネロは多くの残虐な処刑を行った。キリスト教徒をたいまつのように彼らの着衣に油を付けて焼き殺したのである。
母親は息子を誘惑し、疎ましくなった息子は母親を殺害しようと画策した。
「ここを突くがいい。ネロはここから生まれたのだから!」
母親も母親ながら、その息子も息子である。