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C.W.ニコル
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首都圏スペシャル 「小笠原諸島 いのちの森と海」 2011年6月17日
【主演】作家 C・W・ニコル 【語り】森山春香 【朗読】小林清志
世界自然遺産に登録される見通しとなった小笠原諸島。東京から南へ1000キロ、太平洋上に浮かぶ亜熱帯の島々には独特の生き物が生息し、クジラの楽園としても知られてきた。旅人は作家のC・W・ニコルさん。クジラの専門家として知られるニコルさんがザトウクジラの群れに遭遇!! 小笠原にしかいない“ある生き物”を探して森にも入ります。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/osusume/201163_5.html
C・W・ニコル ウィキペディア(Wikipedia)より
C. W. ニコル(Clive Williams Nicol、1940年7月17日 - )は、イギリス・ウェールズ南部のニース(ウェールズの首都カーディフの西方)出身の作家、ナチュラリスト。
1995年に日本国籍を取得し、本人の言によれば「ウェールズ系日本人」で職業は作家。同時に「キラメッセ室戸鯨館」という捕鯨とクジラの博物館の館長も務める。
妻は作曲家・日本画家のニコル麻莉子(1980年に結婚)。
スペインのガリシアに別荘を持ち、日本での仕事が多忙になると自宅がある黒姫には助手に留守をまかせて、家族と一緒に滞在して仕事に専念することが多い。また、旅行することが多く、このことをエッセイにまとめる著本を多く発表している。
【経歴】
母親はイングランドに憧れたウェールズ人。母方の祖父である元炭鉱労働者のジョージ・ライスを尊敬している。
ニコルのエッセイによると、ライス家はケルト化したノルマン系の家系だという。幼い頃に、やはりノルマン系イングランド人の軍人であった実の父親を亡くし(日本陸軍によってシンガポールで処刑された)、母親とイングランド東南部のイプスウィッチに住んでいた。
14歳の時に生物学教師であったピーター・ドライバーに出会い影響を受ける。柔道と格闘技を始め、ピーターもその影響を受けた。高校を卒業後ピーターの誘いで、反対する両親に無断でカナダに渡り、17歳で極地探検を行なった。
数次に渡る極地探検でカナダのイヌイットと一緒に暮らすなど交流の経験を繰り返した後、エチオピアの野生動物保護省の狩猟区管理官、再びカナダで水産調査局や環境保護局での技官などを歴任した。1962年に空手道を学ぶために来日。この来日期間中に日本人女性と最初の結婚をしている(数人の娘をもうけた後に離婚、長女はカナダ人男性と結婚し、カナダ在住)。また、空手道以外に杖道も学んでいる。
カナダ国籍を取得した後、1975年、35歳で沖縄国際海洋博覧会のカナダ館副館長として再来日(翌年母親が58歳で他界した報を弟から受けたが事情があってなかなか帰国ができなかったと本人は語っている)。1978年、カナダ政府の官職を辞任し再来日。一時的に捕鯨の物語を書くために和歌山の太地に一年余生活した(これは、太地の鯨取りの猟師が、海での遭難からカナダに渡り、その子供たちにまで及ぶ、海に生きる男たちを描いた『勇魚(いさな)』の参考となった)。
その後、現在の妻に出会い(後に末娘をもうける)、親友の谷川雁の紹介で1980年に、谷川が創設したラボ教育センターの拠点であるラボランドのある長野県黒姫山の麓に居所を定める。また、ラボ教育センターのテキストのいくつかを執筆。ラボ教育センターの分裂時は谷川と行動をともにし、谷川が創設した「十代の会」「ものがたり文化の会」に参加・協力している。
以降、現在に至るまで作家活動を続けている。1995年に念願の日本への帰化を果たし、同時に英国籍とカナダ籍から除籍されたという。小説『風を見た少年』(講談社)は、2000年に大森一樹監督でアニメ映画化された。
また、自然環境の保護活動でも知られ、1986年、長野県黒姫高原の荒れた里山の一部を購入し「アファンの森」と自ら名づけ、親友で専門家の松木信義と共に里山の再生運動を展開し、エコツーリズムを実践。ナチュラリストとして高名である。
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『石油に頼らない―森から始める日本再生』 養老孟司/著、日本に健全な森をつくり直す委員会/著 北海道新聞社 2010年発行
日本が一番好きだ 【執筆者】C・W・ニコル
僕が泣いたのは、ひとつには、悔しかったからです。こんないいブナ林があるのか。わがケルト人は自らを"森の民族"と言っていたのに、なぜ森を残してくれなかったのか。「なぜ、もっと戦って、森を残してくれなかったのか!」それが悔しかったのです。
もうひとつは、うれしかったのです。僕がこの美しいところに入れた。ほかのウェールズが入ってない。この天国――エデンの園のようなところを見たことないだろう。本当に日本に「ありがとう」という気持ちでした。僕を案内してくれた先輩たちにも、感謝でいっぱいだったんです。
その時から、僕は、「日本を愛してしまった」のです。
日本の文化はどうしてこんなに美しい森を残せたのか。どんな川にもヤマメのような美しい魚がいる。誰でもマスやイワナのような魚を釣ることができる。田舎に行けば、金持ちでなくても貴族でなくても狩りができる。そして美味しいものがいっぱいある。この文化を理解したくなりました。
その後、僕は、何度も北極に行きました。エチオピアで国立公園の公園長を務めたこともあります。世界中の森の破壊も見ました。そして何度も、空手を学ぶために、日本人に会うため、美味しいお酒と焼き鳥とお鮨を食べるために日本に帰ってきました。40歳になった時、「この国が一番好きだ」と思いました。冬山もずいぶん歩きました。そして、日本の冬山はすごいなと思いました。
僕が「日本が一番好きだ」と言うと、日本人は不思議に思うようですが、日本のように美しい国はほかにはありません。北には流氷があり、南には珊瑚礁がある。海岸線を測ったら、アラスカを入れなければアメリカよりも長い。言論の自由がある。宗教の自由だけでなくて、宗教からの自由もある――これが僕にとって、すごく大きなことです。それから、僕は格闘技が好きです。エチオピアでは、人の血も、自分の血も、森を守るために流してきました。しかし、僕はみなさんと同じように戦争を憎んでいます。僕が生まれた国は、今でも戦場に物を送っています。でも日本は、あの戦争がおわってからずっと平和を守っています。僕はケルト人です。ケルトの国がゲルマン人に支配されました、アイルランドだけは残りましたが、そのアイルランドも分裂していて、いつまたテロ行為が起こるかわからない状態です。僕の故郷であるウェールズはアングロサクソンに支配されています。僕はアングロサクソンでも、外国人でもなく、いまはケルト系日本人です、本当に日本が好きだから、日本国籍をとって日本人になったのです。
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