じじぃの「未解決ファイル_127_宇宙にロマン」

はやぶさ2」を搭載したH2Aロケットは2014年12月3日午後1時22分
鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた。
 (時事通信HPより)

時論公論 「見えない有人宇宙戦略」 2010年04月19日 NHK
月探査についてもこれまでの専門家による試算で、無人の探査機で月面に軟着陸した後2020年ころにロボットによる探査を行った場合、少なくとも2000億円がかかるとの試算。さらにその先の有人探査に向けて独自にロケットなどを開発するとなると1兆円をこえるお金が必要に。去年計画が示された段階ではアメリカが有人の月探査計画を打ち出していて将来的に協力。
ところがこうした課題を検討しようにも今の日本の宇宙開発は司令塔が不在になっていることが最大の問題。宇宙開発の方針を決める宇宙開発戦略本部は、閣僚が集まる本部会合が政権交代以降一度も開かれていない。鳩山政権は課題が山積みでなかなか宇宙まで手が回らないという事情のほかに、政府内での意見のくい違いが背景に。
きぼうや月探査を推進してきた宇宙航空機構を所管する川端文部科学大臣は、きぼう運用について引き続き延長して各国と協力を進めていくべきという考えを示し、月探査にも前向き。
これに対して、政府の宇宙開発全体をまとめる立場の前原宇宙開発担当大臣はいずれも慎重な姿勢。最近になって有識者による私的な懇談会を作って検討をはじめており、議論の中では、きぼうについては成果が見込めないなら撤退すべきとの意見も。また月探査について前原大臣は、探査目標がはたして月でいいのかどうか、再検討の必要性についても示唆。
日本の宇宙開発予算は安全保障関連を除くと年間2000億円程度。
日本人のシャトル搭乗終了をきっかけに、政府として優先順位を付けたメリハリのある長期的な有人宇宙戦略を早急に打ち立てていくことが求められる。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/44691.html
『人間にとって科学とは何か』 村上陽一郎/著 新潮社 2010発行
人間にとって科学とは何か (一部抜粋しています)
科学技術の発展が、私たちの生活や社会を以前より生きやすく、便利にしてきたことは、疑いがありません。ただ、利便性の尺度で測れば当然、科学で得られることには限界があります。しかし科学の価値はそれにとどまるのでしょうか。
私は、宗教が人間にとって必要であるのと同じように、科学も人間にとって必要であると思います。
もともと哲学と科学は原点は同じです。つまり、ものを考えるということがすべての原点になっているからです。
知は、自分を知り、他者を知ることの大きな助けになる。だから、科学に限らずどんな知識も、人間にとって役にたつのです。経済にとって役に立つかどうかは別にして人間にとっては役に立つのです。
そういう意味で科学は決して「役にたつためにのみある」わけではありません。ブダペスト会議の4つの提言の第1にあるとおり、「知識の進歩のための科学」、知識を追求すること自体がかけがえもなく、人間という存在にとって大事なのです。
科学もまた人間としての創造行為であり、社会をはなれてはありえないことを自覚することから始めなくてはなりません。それぞれの個人が考え、参加し、責任をもつ社会でなくてはならないという意味において、あまりにも科学は一般社会と没交渉で来たからです。
しかしながら、「社会のため」という言葉は、しばしば誤用されているようにも思えるのです。
そして最近は経済効果がすべての尺度になって、すぐに経済効果で判断しようとします。
事業仕分け」にかかって、優れたコンピュータを追求することが、「世界一のコンピュータを作る」という話として取り上げられたのもおかしいと思います。予算を要求するほうも、いまの世の中では理解されないからそういう言い方をしていますが、実のところはもちろん世界一が目標ではないはずです。いま、世界のどこにもないほどコンピュータの性能を上げることによってなにができるかということが、大きな知的インパクトになるからこそ研究しなければならないということなのです。
この状況を打ち破るために、2つの論理があります。
まずは、「社会のため」という言葉を矮小化しないで考えてほしいと思います。社会には経済原理だけではない、多様な価値観があるのですから。それらの価値の表現のために身を捧げる人びとがいる、そうした人間存在のある種の高貴さを認めてほしいのです。
いずれにせよ、社会に貢献するかどうかなど、ひとつの世代で計るような問題でしょうか。人間とは、つくづく面白いと思いますが、たとえば宇宙にロマンを感じ、今目にしているのは20億年前の姿だ、なんてじんわり嬉しくなる人たちが、天文学の回りにはいます。メダカを持って宇宙に行った人もいましたが、考えてみると、何十億というお金がかかっているのに何をしているんだ、ともいえます。無重力空間は地球上でつくれなくもないのに。だけれども、そこには宇宙にたいするある種のロマンがあって、私たちはそれを許す何かを持っているのも確かなのです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『人間にとって科学とは何か』という本の最後の章に「人間にとって科学とは何か」がある。
「人間とは、つくづく面白いと思いますが、たとえば宇宙にロマンを感じ、今目にしているのは20億年前の姿だ、なんてじんわり嬉しくなる人たちが、天文学の回りにはいます」
宇宙はどのように始まったのか? 人類は宇宙が137億年前のビッグバンという大爆発で始まったことを知った。そして、我々が見ている星が一番遠い星だと20億年も前の姿であることを知った。
この間、NHKのテレビでNHKの解説員3人が「日本の宇宙戦略」についてバトルしているのがあった。
一人は今までの日本の宇宙開発でお金をかけたわりには成果がないことを上げ、今後の宇宙開発は気象衛星とか実利のある宇宙開発を目指すべきだとするもの。もう一人は現在進めている日本の宇宙開発を肯定したもので、「はやぶさ」、「イカロス」のような無人の探査機で行うというもの。もう一人は有人の探査を念頭において宇宙開発を目指すべきだとするものだった。
確かに、宇宙の無重力を利用して新しい合金を作るとか、新しい薬を作るとかの成果はなかった。これらは地上でも無重力空間が作れ、何も宇宙でなければ出来ないというものではなかった。
でも、「宇宙にロマン」があるのも事実だ。
人間はパンのみで生きているのではないのだ。
国の威信をかけた宇宙開発は日本には似合わない。しかし、いつでも有人探査に切り替えられる準備だけはしておくべきだ。
これは日本の核武装でもいえることなのかもしれない。