じじぃの「人の死にざま_414_P・バック」

パール・バックの生涯
http://www2.odn.ne.jp/tensin/autism/mother/pearl_life/pearl.html
中国旅行情報|パール・バック旧居
http://www.nanjing-tour.com/ryokou-jouhou/pearlbuck/perlbuck.html
パール・S・バック フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
パール・サイデンストリッカー・バック(Pearl Sydenstricker Buck, 1892年6月26日-1973年3月6日)はアメリカの女性小説家。南長老ミッション派宣教師の両親と中国(中華民国)に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作『大地の家』を成す。1938年にアメリカ人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した。
【大地 王龍の娘とパール・S・バックの娘】
小説の中に王龍の娘が2人出てくるが、そのうちの1人は知的障害者であった。実はパール・S・バックの娘も知的障害者であり、彼女に特殊教育を受けさせるための金銭を手に入れることが動機のひとつとなってこの小説を書いたと言われている。王龍は他の子供たちから受けるストレスを、知的障害者の娘を可愛がることによって発散した。王龍は非常にこの娘を可愛がり、使用人に「私が死んだらこの子はどうなるのか? 私はこの子の将来が恐ろしい、しかし自分の手で殺すのももっと恐ろしい」という趣旨のことを話す。パール・S・バックは自らを王龍に見立てて、この小説の一部を書いたものと思われる。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
3月6日−パール・バック (アメリカ作家・80歳)
1931年、3月に出版された無名の作家パール・バックが書いた『大地』が21ヵ月にわたり超ベストセラーを記録した。
パールは生後まもなく中国に渡り、その目で見て来た中国農民の姿を克明に描いた長編小説が『大地』だった。
1938年、パールはノーベル文学賞を受賞しているが、その後は『大地』を出版した会社の社長と結婚。障害児を持ったこともあって、社会福祉活動に動きまわった。
原稿用紙に書いていた作家がやがて社会という現実のキャンパスにむかってその思いをぶつける。すばらしいことではないか。愛と行動の作家、パール・バックに盃を!