じじぃの「人の死にざま_333_スウィフト」

ジョナサン・スウィフト - あのひと検索 SPYSEE
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Gulliver's Travels Part 1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1nxPYA5zdiE&feature=related
ガリバー旅行記』の地図に豊後は載っている おおいた暮らし
世界中の人々が知っているジョナサン・スウィフト作の『ガリバー旅行記』(1726年刊)の構成は、「第1篇 リリパット(小人国)渡航記」・「第2篇 ブロブディンナグ(大人国)渡航記」・「第3篇 ラピュタバルニバービ、グラブダブドリッブ、ラグナグおよび日本渡航記」・「第4篇 フウイヌム国渡航記」と、実在の国としては唯一日本が出てくる。そして日本の地図には、豊後島が九州全体を指すかの如く載っている。
http://www.iju-oita.jp/modules/rensai/index.php?content_id=27&page=print
『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
スウィフト (1667-1745) 78歳で死亡。
50代で『ガリヴァー旅行記』を書いた司祭ジョナサン・スウィフトは、60代の半ばから、持病のメニエル氏症候群−−目まい、難聴、頭痛などに悩み、厭人癖と孤独感にさいなまされていた。
老いたるスウィフトは、散歩中、てっぺんのほうから枯れかかった老木を見て、「あれがおれだ」、とつぶやいた。
1742年、75歳で彼は完全な痴呆状態におちいり、専門医によって精神鑑定され、もはやすべてにおいて「責任能力なし」と診断された。さらに言語を発することも困難になり、1744年の4月のある日、77歳の彼は召使いを呼んで何か命じようとしたが言葉が出ず、苦悶ののち、
「阿呆だ、おれは」
という一語を発したきり、あと唖になってしまった。
そして1745年10月19日、枯木のごとく死んだ。彼は、自分が『ガリヴァー旅行記』で描き出した、老醜無惨の姿でただいたずらに長生きするラグナグ国の不死人間ストラルドブラグさながらに死んだのである。
サッカレーはいう。「なんという怖ろしい崩壊と廃墟。それは大英帝国の没落を思わせる」
狂気説ないし梅毒説もあって、死後ただちに解剖されたのみならず、のち2度まで掘り出されて調査研究の対象になったが、死因はただ「老衰」であったというのが定説になっている。

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