じじぃの「人の死にざま_330_ダンテ」

Dante Alighieri sepolcrum 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wj1RqWoHCBc
La Divina Commedia 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KtRtnZDaaqA&feature=related
ダンテ・アリギエーリ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ダンテ・アリギエーリは、イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。
代表作は彼岸の国の旅を描いた叙事詩神曲』および詩文集『新生』。
イタリア文学最大の詩人とされ、ルネサンスの先蹤ともいわれる。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
疑うことによって探求に至る ヨーロッパAD500-1500
理性と信仰の調和
学問上の発酵の効果として、キリスト教信仰に対する知的挑戦が生じた。第2回十字軍を開始させた有力な聖職者である、クレルボーの大修道院長ベルナールは、アベラールに反対し、「廉真な信徒の信仰とは、異論を唱えないことである」と主張した。次々と神学者が理性と信仰との調和に努め、ついにパリ大学の神学教授の聖トマス・アクィナスは、1273年に完成したその著『神学大全』において、この2つのものが両立しないものではないことを明らかにした。彼は信仰も理性も真理への道であることを強調した。理性はすべてのものが原因を持たなければならないことを確証する。原因・結果の連鎖を最終の根源までたどると、万物の創造主である神に至るのである。トマスの説は、今日でもカトリック教会で公式に認められている。
教会と国家の間の緊張は、ダンテにもっとも明らかにされている。貧しいフィレンツェ貴族の子であったダンテは、この都市の参事会員であったが、教皇派に反対して皇帝派を支持したために、1302年に追放された。それからは亡命者として流浪の生活を送った。彼の『神曲』は、地獄、煉獄(れんごく)を経て天国に至る架空の旅の物語である。このなかで、いろいろな教皇と哲学者たちの哲学と、地上的な愛について語っている。また、その中には、若き日のベアトリーチェに対する思慕が、豊かに遥曳(ようえい)している。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ダンテ (1265-1321) 56歳で死亡。 (一部抜粋しています)
ダンテはフィレンツェに生まれ、35歳のとき市の行政官に選ばれたが、皇帝党と法王党の政争にまきこまれ、翌年市を永久追放され、2度と故郷に帰ることはなかった。
後にみずから述べているように、イタリア中を「物乞いしつつ」漂泊し、42歳のときから『神曲』を書きはじめた。
1317年、52歳のとき、ラヴェンナの領主に招かれ、以後同市に滞在、1321年、56歳のとき、同市の使者としてヴェネツィア共和国に赴(おもむ)き、帰途マラリアにかかり、ラヴェンナに運ばれてそこで死んだ。同時代の知人さえ地獄に堕(おと)した怖るべき『神曲』は死の直前に完成していた。

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ダンテ・アリギエーリ Google 検索
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