じじぃの「人の死にざま_314_池田・満」

池田満寿夫 - あのひと検索 SPYSEE
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エーゲ海のリーザ(Lisa del Mare Egeo) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rBd3exBr9oc
NHKアーカイブス「シリーズ わたしが選ぶあの番組(2)作家・森村誠一さん」 (追加) 2011年10月23日
【出演】作家 森村誠一 【司会】桜井洋子
各界で活躍する著名人が、NHKアーカイブスの中から選んだ名作を伝えるシリーズ。2回目は、推理小説作家・森村誠一さん。近年「写真俳句」に傾倒する森村さんは松尾芭蕉を敬愛し、自らもみちのくを旅してきた。今回、選んだ番組は1989年放送の「おくのほそ道 池田満寿夫 みちのく紀行」。松島・平泉などをハイビジョンで記録した美しい映像の番組だ。作品を視聴するとともに、森村さんの震災後の東北への思いなどを聞く。
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20111023-21-02109
池田満寿夫 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
池田満寿夫(いけだますお、1934年2月23日-1997年3月8日)は、画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動、多才がゆえに“池田芸術”は高い知名度のわりに現在でもなかなか正当に評価されていない。独創性を重視し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したからである。
【経歴】
満州に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野県長野高等学校卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。このうち、1回は油絵科志望、2回は彫刻科だった。酒場で似顔絵を送りながら19歳で自由美術家協会展に入選。その後、画家、瑛九の勧めで色彩銅版画の作製に取り組む。この時期、平井蒼太主宰の真珠社から豆本のシリーズを刊行。1957年に東京国際版画ビエンナーレ展に入選。1960年には同展で文部大臣賞を得て脚光を浴びた。
1961年には、上野・不忍画廊で初の個展を開く。1965年には、ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開き、話題となる。1966年、32歳のとき、棟方志功に次いで版画家としては最高権威のヴェネツイア・ビエンナーレ展版画部門の国際大賞を受賞。池田の名を国際的にも第一線の芸術家にした。版画のドライポイントでは、パウル・クレーやウィレム・デ・クーニングに加え、雪舟水墨画の影響も受けていた。東京国際版画ビエンナーレ展などで、外国人審査員が評価したのは池田作品の中に“東洋の影”を見たからである。
後に水彩画や文学方向にも関心が傾く。1977年には『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞。この『エーゲ海に捧ぐ』は、絵画・歌・小説・映画とマルチな分野で池田自身の手によって現され、非常に話題となった(主演はのちにイタリアの国会議員にもなったチチョリーナことシュターッレル・イロナ。官能的な女性を描かせたら、当代一であったといわれる。制作した版画は1000点余り、陶芸作品は3000点を超えるとみられる。
1980年代には、テレビにも出演、一般大衆への知名度もアップし、文化人としても活躍したが、晩年、陶芸制作に没頭したことはあまり知られていない。1965年に初訪米したときから、米国陶芸界の第一人者であるピーター・ヴォーコスと交流。帰国後の1983年から陶芸にも没頭した。死の3年前に制作した般若心経シリーズの作品は池田の陶芸作品の中で最高傑作といわれる。般若心経という精神世界を平面ではなく、立体的に造形化した。地蔵や佛塔の作品などは、エロスの作家といわれた池田版画のイメージとは全く異なる。池田の陶芸作品はあえて割れるように制作したのが特徴であり、池田本人は“破壊の美学”と述べている。
国際的に精力的な創作活動を展開し、多忙な生活を送っていたが、1997年3月8日、静岡県熱海市の自宅で愛犬に抱きつかれて昏倒し、心不全にて急逝。享年63。4月から多摩美術大学教授への就任が内定しており、後進の指導にも当たろうとしていた矢先の死だった。
19歳で入籍した女性が離婚に応じなかったため、生涯戸籍上の妻はこの女性のみで、その後に同居した作家富岡多恵子やバイオリニスト佐藤陽子などは内縁の妻だった。
主な所蔵作品は、長野市池田満寿夫美術館、三重県菰野町のパラミタミュージアム熱海市池田満寿夫佐藤陽子 創作の家と池田満寿夫記念館でそれぞれ常設展示されている。京都市京都国立近代美術館佐藤陽子から寄贈された版画作品を所蔵する。広島市現代美術館、長野県信濃美術館は池田作品のコレクションを所有。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
3月8日−池田満寿夫 (画家・63歳)
反論を覚悟であえて言いたい。芸術の世界なんて凄まじい名誉欲と嫉妬心が渦巻く、いいかげんな社会だと−−。
いいかげんと言ったのは昨日まで全く無名の画家が有力な画商や美術評論家の一言にによってビッグネームに成り上がってしまうことが十分に可能だということだ。
池田満寿夫は典型的にそんな人生をおくった人だった。油絵で食えないからと版画に転じた。1960年、第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞したにもかかわらず、周囲の反応は冷たかった。
渡欧してヴェネツイア・ビエンナーレ展にも入賞したが結果としては池田をビッグにしたのは文学に挑んだ『エーゲ海に捧ぐ』で獲った芥川賞(1977年・第77回)のタイトルだった。
池田は晩年、原点である油絵に戻って大作を描きたいと念じていたがその夢を残したまま、逝ってしまった。さぞや無念であったことだろう。

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