じじぃの「人の死にざま_200_H・ルース」

ヘンリー・ルース (1898-1967) 米国のジャーナリストであり出版者。「タイム」「ライフ」「フォーチュン」「スポーツイラストレイティド」などの雑誌の創始者
Henry Luce From Wikipedia, the free encyclopedia (一部抜粋しています)
Henry Robinson Luce (April 3, 1898 - February 28, 1967) was an influential American publisher. He launched and closely supervised a stable of magazines that transformed journalism and the reading habits of upscale Americans. Time summarized and interpreted the week's news; Life was a picture magazine of politics, culture and society that dominated American visual perceptions in the era before television; Fortune explored in depth the economy and the world of business, introducing to executives avant-garde ideas such as Keynesianism; and Sports Illustrated which probed beneath the surface of the game to explore the motivations and strategies of the teams and key players. Add in his radio projects and newsreels, and Luce created the first multimedia corporation. Luce, born in China to missionary parents, demonstrated a missionary zeal to make the nation worthy of dominating the world in what he called the "American Century."

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20世紀におけるアメリカの「中国体験」
http://www.law.osaka-u.ac.jp/~c-forum/symposium/pt_maxiaohua..htm
トライアングル・クライシス 歴史に見る日米中関係 1995年12月29日 NHK
【主な出演者】寺島実郎
日本、アメリカ、中国。戦前戦後を通じて、この3国のパワーバランスに大きな影響を与えた男、ヘンリー・ルースの軌跡を寺島実郎が追う。
ルースが創刊した「タイム」「ライフ」「フォーチュン」がいかに米国の世論、政治政策に大きな影響を与えていったかを現在の日米中にかさねあわせ分析する。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999512290130109/
【明日へのフォーカス】論説副委員長・高畑昭男 「米国の世紀」と中国の因縁 2010.2.23 MSN産経ニュース
オバマ米大統領チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したニュースを聞いていて、米中関係をめぐる因縁めいた話を思いだした。
20世紀が「アメリカの世紀」と呼ばれたのは多くの人が知っている。だが、この言葉が米国で生まれて世界に広がったのは、たかだか70年ほど前のことだった。
時事週刊誌「タイム」、写真誌「ライフ」ビジネス誌「フォーブズ」などを創設した米国のメディア王で知られるヘンリー・ルースが1941年2月、「アメリカの世紀」と題する論説を自ら編集長を務めるライフ誌に発表したのがその始まりだ。
時は欧州大戦のさなかである。英国はヒトラーの攻勢に苦戦し、アジアも風雲急を告げていた。ところが当時の米国では、ひところの日本の「一国平和主義」と似ていて、「世界がどうなろうと関係ない」という孤立主義的な考え方がまだ主流を占めていた。
そんな中でルースは「米国は孤立主義を捨てて英国を支援し、ナチズムと戦うべきだ」と参戦を訴えた。自由や民主主義などの「価値や理念」の下に諸国を結集し、英国に代わって新たな秩序を築く指導的役割を担うべきだ−と国民に呼びかけたのだった。
ルースは共和党員で、全体主義に反対して自由を掲げる反共保守の言論人だった。その訴えはやがて国民に共有され、党派を超えて民主党ルーズベルト政権を動かし、米国は参戦に向かう。「アメリカの世紀」論文は、内向きになりがちな米国民の心に「世界の中の米国」の自覚と時代の精神を刻み込んだといってもいい。
では、ルースが唱えた国際主義はどこからきたのだろうか。その一つの源流が中国にあった。
清朝末期、米宣教師の子として山東省で生まれ育ったルースは、15歳で米国に戻った。エール大学や英オックスフォード大学で学ぶ中で米社会と中国の壮大な差を痛感し、言論人となった後も「中国に改革と民主主義が必要だ」との思いにかられていたという。幼少時に肌で触れた中国の人々を思う情熱がその思想を貫いていた。
ルース論文にこめられた国際主義は、第二次大戦後も冷戦を経て米外交・安全保障政策の屋台骨となった。その思いは、今もオバマ政権の国務省ホームページで「ヘンリー・ルースと20世紀のアメリカ国際主義」と題して紹介されていることにも表れている。
ナチズムは倒れ、ソ連共産主義もルースの死後、崩壊した。しかし、中国の民主改革への願いは実らないまま米国の世紀(20世紀)は過ぎていった。
今や中国は地球規模で存在感を高めつつある。大統領がダライ・ラマと会うのも遠慮しがちになるほど、米中双方の力関係も微妙に変わってきている。21世紀を「アジアの世紀」と呼ぶ人もいれば、「中国の世紀」になると予想する人すら少なくない。
それでも、誰かが中国に責任ある行動を求め、際限のない軍拡をとがめなければならない。人権などの国際規範を尊重させることも必要だ。現代の世界でそうしたソフトやハードの力を持ち合わせている国があるとすれば、それは米国以外にはないだろう。
政治も経済も、米国だけでは動かない時代になったとすれば、頼れる同盟国としての日本がなおさらしっかりしなければならない。日本にとって「アメリカの世紀」が問いかけたものはそういうことだと思う。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100223/amr1002230303001-n1.htm
ヘンリー・ルース Google 検索
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=RhSDS_iGBNGTkAWe2_B9&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBUQsAQwAA