じじぃの「人の死にざま_149_マックス・ウェーバー」

あの人に会いたい マックス・ウェーバー SPYSEE
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池上彰の世界を変えた本 2015年10月16日 動画 YouTube
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Max Weber 動画 YouTube
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マックス・ウェーバー ウィキペディアWikipedia) より
マックス・ウェーバーMax Weber)は、ドイツの社会学者・経済学者である。
【主な業績】
西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理を、「合理性」と仮定し、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年−1905年)であり、西洋近代の資本主義を発展させた原動力を、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。この論文は大きな反響と論争を引き起こすことになったが、特に当時のマルクス主義における、宗教は上部構造であって下部構造である経済に規定されるという唯物論への反証としての意義があった。
その後、この比較宗教社会学は、「世界宗教の経済倫理」という形で研究課題として一般化され、古代ユダヤ教ヒンドゥー教、仏教、儒教道教などの研究へと進んだが、原始キリスト教カトリックイスラム教へと続き、プロテスタンティズムへ再度戻っていくという壮大な研究は未完に終わった。
ウェーバーのそうした一連の宗教社会学の論文と並んで、もう一つの大きな研究の流れは、「経済と社会」という形で論文集としてまとめられている。これはウェーバーが編集主幹となり、後に「社会経済学綱要」と名付けられた社会学・経済学の包括的な教科書に対し、1910年から寄稿された論文集である。この論文集も最終的にはウェーバー自身の手によって完成することなく、彼の没後、妻であったマリアンネ・ウェーバーの手によって編纂された形で出版された。このマリアンネの編纂については、批判が多くその後ヨハネス・ヴィンケルマンによる再編纂版も出ているが、本来ウェーバーが目指していたと思われる、あるべき全体構成については、今なお議論が続いている。この「経済と社会」は、教科書的・体系的な社会学を構築しようとしたのと同時に、宗教社会学における「合理化」のテーマを、比較文明史・経済史的なケーススタディ(Kasuistik、決疑論)の巨大な集積を通じて検証しようとしたものと位置づけられよう。また、「経済と社会」の中の「支配の社会学」における、支配の三類型、すなわち「合法的支配」、「伝統的支配」および「カリスマ的支配」は有名である。
ウェーバーはまた、社会学という学問の黎明期にあって、さまざまな方法論の整備にも大きな業績を残した。特に人間の内面から人間の社会的行為を理解しようとする「理解社会学」の提唱が挙げられる。さらには、純理論的にある類型的なモデルを設定し、現実のものとそれとの差異を比較するという「理念型(Idealtypus)」も挙げられる。また、政治的価値判断を含む、あらゆる価値判断を学問的研究から分離しようとする「価値自由(Wertfreiheit)」の提唱も、大きな論争を引き起こした。

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『賢者たちの人生論 プラトンゲーテからアインシュタインまで』 金森誠也/著 PHP文庫 2009年発行
マックス・ウェーバー (一部抜粋しています)
「日本について」
ウェーバープロテスタント、とくにカルヴァン派の人々が西欧の資本主義の発展に深くかかわっていると見たことは前述したとおりだが、日本の浄土真宗プロテスタンティズムの類似を指摘したのは、独自の卓見として注目されるべくであろう。
ウェーバーヘーゲルと並んで西欧の思想家の中では傑出した東洋通といわれており、精神文化の発展において東洋よりも西洋の優位を強調した点も両者に共通している。ヘーゲルは、インド思想や中国思想を人間精神の低い発展段階にあるとし、あまり評価しなかった。それと同様ウェーバーも東洋思想を合理性を欠く後進的なものとみなし、たとえば中国が「呪術の国」なら、インドは「現生否定の瞑想宗教への沈潜のみ」という負の評価をした。
次に、ウェーバーは日本について、武士道徳はすぐれているが商業道徳がなっていないと批判した。また日本思想のうち、とくに仏教の倫理的価値を認めたb。この点は詩人ヘルマン・ヘッセとよく似ている。前述したとおりヘッセは1911年、現在のマレーシアをはじめ東南アジアを旅行中、在外日本人の姿に接したが、とくに日本の商人の金儲け主義は悪質であると酷評している。
その反面ヘッセは、日本の文学や仏教を高く評価し、とくに禅宗については「日本には数世紀のこの方、禅のように雄大で、しかも機知に富み、極度に精神科されてしかも遅疑なく、いやたくましく実生活に即したものがあったし、今でもある」とのべた。
ウェーバーは、徳川時代には士農工商封建制度が支配していたために、市民的営利についての倫理が自力でつくられることはなかったとしたあと、ヨーロッパの商人は明治維新後偉大なる中国人とは違う日本の商人の「低い商業道徳」について嘆いたと伝えている。しかしウェーバーは封建時代の商業のなごりがそこにあると見て、「商業の要は人の騙し方にあるのみ」と喝破したビスマルクの言葉を引用している。つまり日本の商業は欺瞞(ぎまん)の形式をとっているというのだ。
もっとも日本は第二次世界大戦以後変化し、日本の商人が悪徳なりとみなされるケースは少なくなった。日本が世界で第2位の経済大国になったのも、おそらく日本の商人や商社の倫理性の向上があったからだろおうと考えられる。しかしヘッセ、ウェーバーの取り上げた頃の日本の商人は、西洋人からはずる賢い人間として冷たい目で見られていたに違いない。
その半面、ウェーバーはヘッセと同様日本の宗教、とりわけ仏教の倫理性を高く評価している。とりわけ浄土真宗についてウェーバーはこんなことものべている。
阿弥陀仏は緊急に助けてくれる仏であり、阿弥陀への信頼の実が救いに達せられる人間の内的生活態度である。したがって浄土真宗は日本の仏教の宗派の中でただ1つ僧侶の妻帯も認めたし、僧院性一般をとりやめた」
次にヘッセが絶賛した禅宗について彼は次のようにのべている。
「武士階級によって尊重された禅宗は、精神の訓練、それに外界ときにおのれの肉体に対する無関心な境地の獲得に重点をおいた。禅僧にとってその訓練の意味は瞑想を通じての仏性との結合による世間からの解放であった。禅宗の信徒、ときに職業軍人禅宗の修行をおのれの職務のための鍛錬の手段として評価した。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
マックス・ウェーバー (1864-1920) 56歳で死亡。
20世紀最大の社会科学者といわれるマックス・ウェーバーは、第一次大戦でドイツが敗北した翌年の1919年6月、ウィーンからミュンヘンに移住した。
彼はここで知人の家の2階を借りたが、彼は音に対して病的な神経症で、部屋をかりているくせによその電話ベルはむろん、家主が出入りするにも文句をいい、彼に反対する右翼の学生が階下に乗り込んで、彼を悩ますために故意に雑多な楽器で騒音をたてると、壁をたたいてくやしがった。
1920年夏、ミュンヘン大学のゼミで、彼は学生たちと熱心に討論したが、夏というのにここで風邪をひき、肺炎になり、10日ばかり寝たのち、6月14日に死んだ。
意識の混濁がはじまる前に、彼はははヘレーネに『社会学範疇(はんちゅう)論』を、妻マリアンヌに『宗教社会学論文集』を献呈する、といった。母や妻に対しても、やはり献(ささ)げるものがちがう。

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【次代への名言】4月21日・マックス・ウェーバー 2009.4.21
「自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、その仕事の価値の増大とともにその名を高める結果を得る」マックス・ウェーバー
1864年のきょう、ドイツ中部の古都に生まれたウェーバーは偉大な先人、ゲーテの流れをくむ「万能学者」だ。政治から経済、農業や宗教の分野まで世界的な著作があり、「万能コメンテーター」として新聞に引用されることも多いから、著作は読んだことはなくても名前にはなじみのある方も多かろう。
冒頭は晩年の講演録『職業としての学問』の一節。彼によると、学者とは芸術家と同様、霊感による独創が必要な職業だ。そのためには、全霊を傾けなければならず、売名や「よそ見」を考えるなど愚の骨頂である。また、教職者の本分は「知的廉直(れんちょく)(無私)」にあり、「自分の知識や学問上の経験を聴講者らに役立たせるかわりに、自分の政治的見解を押しつけようとするならば、それは無責任きわまる」とした。これはすべての教育現場における金言であろう。
『職業としての政治』という講演録もある。政治家とは、情熱と同時に冷静な見識が求められ、虚栄心は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵。権力は政治の原動力だが、それにかしずくということほど、政治の力をそこない、ゆがめるものはない−。こんなウェーバーのおめがねにかなう「職業政治家」はいま、どれほどいるのだろう。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090421/acd0904210333000-n1.htm
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