じじぃの「人の死にざま_117_糸川・英夫」

糸川英夫 - あのひと検索 SPYSEE
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はやぶさ おかえりなさい /Hayabusa re-entry 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1Uu5ZA6e7GE
Hayabusa: NASA News 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p_3hgfxlt2w&feature=related
糸川英夫博士とペンシルロケット

はやぶさ2」を搭載したH2Aロケットは2014年12月3日午後1時22分
鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた。
 (時事通信HPより)

はやぶさ」落下カプセル回収へ、太陽系の起源解明に期待 2010年06月14日 
シドニー 14日 ロイター] 宇宙航空研究開発機構JAXA)は14日、小惑星イトカワ」への往復7年間の旅を終えた探査機「はやぶさ」のカプセルが地球に帰還したと発表した。関係者は、カプセルがイトカワで採取した土壌サンプルを搭載していると期待している。
2003年に打ち上げられた「はやぶさ」の本体は地球に着地する前に燃え尽きてしまったが、本体から分離したカプセルは同日未明(日本時間13日深夜)、オーストラリアの砂漠地帯に無事に着地した。JAXAの広報担当者はロイターに対し、現場の写真から見て、貴重な採取サンプル搭載の期待がかかるカプセルは無事だとの見方を示した。
 着地点周辺がオーストラリアの先住民アボリジニの「聖地」に当たるため、豪国防当局者が夜明けを待ってアボリジニの長老とともに現地に向かい、聖地に被害が出ていないことを確認した上で、14日中にカプセルを回収することへの了解も得たという。
はやぶさは2005年に小惑星イトカワに着陸。関係者は今回帰還したカプセルの中にイトカワで採取した土壌サンプルが入っている可能性が高いと考えている。もし土壌サンプルが採取できていれば、月以外の天体から持ち帰った初めての土壌試料となるとともに、太陽系の起源解明にも役立つと期待されている。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15810620100614
糸川英夫 ウィキペディアWikipedia)より
糸川英夫(1912年7月20日-1999年2月21日)は、東京出身の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットの開発者であり、日本の宇宙開発・ロケット開発の父と呼ばれる
【経歴】
第一東京市立中、旧制東京高校を経て、1935年、東京大学工学部航空学科を卒業。中島飛行機の技師として九七式戦闘機、隼、鍾馗などの設計に関わった。1941年、軍事技術開発を中心に扱った千葉県千葉市にあった東京大学第二工学部助教授に就任。1948年、同教授。
1967年、東大を退官し組織工学研究所を設立。これを機に宇宙開発の前線から去った。
1999年2月21日に死去。
2003年、小惑星 25143 が彼の名にちなんでイトカワ命名された。イトカワには日本の探査機はやぶさが訪れた。

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『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
糸川英夫 日本を憂えたやんちゃな「天才プロデューサー」 【執筆者】的川泰宣 (一部抜粋しています)
糸川英夫は、太平洋戦争中の「九七式」や「隼」などの戦闘機の設計、「ペンシルロケット」を嚆矢(こうし)とする日本のロケット開発の領袖として名高い。
模倣を徹底して嫌う独創的で一見やんちゃな精神、63歳にしてクラシックバレエを始める天衣無縫の奔放−−私たち弟子どもにとっては、まことに捉えどころがないほど大きく扱いにくい背中であった。その前半生の真骨頂は、科学と技術の「天才プロデューサー」であったと言える。
しかし、世界・人類・地球を視座に置くと、彼の辿り着いた精神世界を最も雄弁に語っているのは本書『荒野に挑む』である。糸川が東京大学を辞して組織工学研究所を創立して以来、その心を支配していたのは、祖国日本を人類の未来の救世主たらしめるにはどうすればいいか、ということであった。この気持ちは年を経るにしたがって彼の心の中に大きな位置を占めるようになっていった。自身の半生を日本の科学と技術のために捧げた糸川は、科学万能、経済至上主義に走る日本社会の現状を大いに憂えた。その最後に行き着いた命題が「民族的教育と全人類の救済の融合」(糸川)であった以上、老境を迎えた糸川の関心がユダヤの民とそのリーダーに向けられたのは必然だったのかも知れない。
本書はそうした糸川の気持ちの正直な吐露である。1999年5月、彼の若い友人がその遺骨をイスラエルのネゲブ砂漠に埋めた。それは糸川が尊敬してやまなかったダビッド・ベン=グリオンの墓のそばであった。

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香りの記憶ー京の時間とともに : ピンチの時ほど逆転の発想ー糸川先生の教え
http://codai.exblog.jp/8156689/
糸川英夫 ロケット Google 画像検索
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探査機はやぶさ Google 検索
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