じじぃの「人の死にざま_115_ウェイン」

ジョン・ウェイン - あのひと検索 SPYSEE
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The Alamo(1960) - The Green Leaves of Summer 動画 YouTube
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ジョン・ウェイン(黄色いリボン /予告編/英語) 動画 きらく
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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ジョン・ウェイン (1907-1979) 72歳で死亡。 (一部抜粋しています)
西部劇の王者ジョン・ウェインは、1963年、56歳のはじめから咳がひどくなり、64年「サーカスの世界」撮影中には、夜通しはげしい咳に苦しみ、吐き出す痰は青黒く、しばしばひどい胸痛をおぼえた。
そこで同年9月、左肺の全部と右肺の一部を切除した。一部の新聞は彼の病気が肺ガンであるとスクープしたが、その後5年近くになっても、依然超人的な活動をつづけるウェインに、「ほんとうに肺ガンだったのだろうか?」という声が出た。このときの病名は一切発表されず、カルテは秘密に保管されたままだった。
しかし、1968年、不人気なベトナム戦争を題材に、アメリカ軍を正義化した「グリーン・ベレー」を撮影中、また喉の発作と背中、脚の激痛に苦しむようになり、ときには酸素吸入器の助けをかりて撮影しなければならないほどであった。61歳の彼は鬼神(デーモン)に憑(つ)かれたようにこの映画を完成させたが、結果はひどい不入りであった。
しかし、彼はなお生きつづけた。
10年後、1978年4月には心臓の手術を受けた。79年1月には胃ガンの手術を受けた。9時間半にわたる大手術であった。このとき各新聞は追悼記事を用意したほどであったが、彼は奇蹟的によみがえり、4月のアカデミー賞授賞式には彼はオスカー贈呈者(プレゼンター)として姿を見せ、受賞者異常の大きな拍手をあびたが、その姿は以前より20キロも痩せ、見る影もないほどやつれていた。
そのすぐあと、5月1日、カリフォルニア大学附属病院で、今度は腸閉塞の手術を受け、このどきガンがすでに全身にひろがっていることが明らかになった。
5日にはカーター大統領みずから見舞い、ついで26日、アメリカ国民最高の名誉である「ゴールド・メダル」(ワシントンからディズニーまで83人しか与えられていないもの。ウェインは84人目となった)を与えられたが、6月にはいってからは、鎮痛剤でからくも生命を保つという状態になった。
しかし、死ね前には意識を持って子供たちの顔を見たいという希望で、最後の24時間は薬をことわり、6月11日午後5時23分、7人の子供たちに見守られながら、ガンとの長い戦いを終えた。
彼の最後の映画は、ガンを宣言された老ガンマンが壮絶な決闘で死んでゆく7日間の物語「ラストシューティスト」で、彼自信が遺作のつもりで作った映画であった。これは1976年の製作だが、日本ではわざとオクラにして、彼が死ぬのを待って公開された。
彼が死んだ時、日本の新聞はすべて、ガンと最後まで戦ったのちの壮絶な死、というような形容でその死を報じたが、しかし死ぬまで死病と戦うことを余議なくされるのは、何もジョン・ウェインに限ったことではないのである。

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