じじぃの「人の生きざま_09_小澤・征爾」

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ボストン交響楽団小澤征爾

わたしが子どもだったころ「世界のマエストロ・小澤征爾 2009年9月6日 NHKネットクラブ
小澤征爾は1935年、満州国奉天市(現・中国瀋陽市)に父・開作と母・さくらの三男として生まれた。幼いころは、兄が弾くアコーディオンで、母たちと教会の賛美歌をよく合唱したという。帰国後にピアノを習い始めたものの、中学生になるとラグビーに熱中。母は、ピアノに大切な指をケガすることを心配したが…。世界的な指揮者・小澤のゆるぎない力、たくましさを、彼を生んだ中国と日本で探っていく。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20090906-10-05966
『旅の途中 巡り合った人々』  筑紫哲也/著 朝日新聞社 2005年発行
小澤征爾 「悪意不在」のマエストロ (一部抜粋しています)
信州・松本で開かれるサイトウ・キネン・フェスティバルは10年を超えて夏の風物詩としてすっかり定着した。その中心である小澤には師カラヤンが創ったザルツブルグ音楽祭のことが念頭にあったにちがいないが、毎夏松本に通っているうちに、近年は私の足もザルツブルグに向かわなくなった。
サイトウ・キネン・オーケストラを世界最高のオーケストラだと私が思っているせいもあるが、近いうえに、地元の熱意に支えられて快い滞在が楽しめるからでもある。
いつも「お客さん」で楽しんでばかりいないで少しは手伝え、ということなのだろう、斉藤秀雄没後30年の今年(2004年)、メモリアル・コンサートを催すので、ついては士会・進行役をやれ、ということになった。
オーケストラにもフェスティバルにもその名が冠されているのだが、斉藤秀雄というのがどんな人物だったのかを知る人は今では少ない。私もよく知らなかった。直木賞は知っていても、直木三十五の小説は読んだ人が少ないのと似ている。外国人にはキネン・サイトウという人物がいたと思い込んでいる人もいるという。
俄か勉強してみて驚いたのは、世界中で活躍している弟子たちが年に一度、松本に集まってオーケストラを組む(なかには普段はソリストとして活躍している人も少なくない)くらいだから、さぞかし慈愛に満ちた恩師なのだろうと勝手に想像していたのに、全く正反対と言ってよいほど容赦のない、きびしい教育者だったことである。
私は小澤征爾が感情を激発させる姿を一度も見たことがない。その彼が斉藤のきびしいレッスンに耐えかねて、裸足のまま外に飛び出し、そのまま帰宅したり、自宅の本棚のガラス戸をくやしまぎれに叩き割ったことがあるという(後の部分は自分では覚えていないと今では本人は言うが)。
それでも彼らが師を慕うのは、海外で活躍してみて、師の教えが正しく、かつ貴重だったと思い当たるからだという。
山本、岩城、小澤はともに指揮法をその斉藤から学んだ。山本は小さいころから、岩城は親友の山本に誘われて半ばいやいや短期間というちがいはあるが、教えられた指揮法のある部分を一番継承しているのは自分だと岩城は今では思っている。
では、斉藤の愛弟子、その技法(メソッド)の正統の継承者と目されている小澤の場合はどうなのか。
実は、小澤はいちど師から「破門」されている。自分の能力を試したくて、貨物船に乗り、スクーターを駆って"音楽武者修行"で世界を回った時で、まだ自分の下で習得すべきものが残っていると思っていた師の不興を買った。だが、出発する東京駅に現われたこの師は当時貴重な外貨(ドル)を黙って小澤に差し出したという。
この旅では指揮者の国際コンクールを次々に制覇するが、帰国後、NHK交響楽団の常任指揮者として楽員と衝突、辞任する(N響事件)。
結果的にはこの事件が「世界のオザワ」を創った。
「もう日本には戻って来ない」と橋を焼き切る心境で再び世界に出た。今でもそうだが、こんなに衣食住に始まって何から何まで「日本的なるもの」が好きな人も珍しい。家族、友人への愛着もひときわ強い。だから、あの事件がなく、どっぷり日本に浸っていたら今の自分はなかったろうと本人が語ったことがある。
「辛い体験だった」とも振り返るこの事件は小澤自身の若気やN響の排他性など個別の事情はあったろうが、オーケストラの指揮者と楽員との宿命的とも言える関係が鋭角的に顕れた事件だと私は思う。
カラヤンの「ドライブ」と「キャリー」の喩(たと)えは、前者が自動車、後者が馬を連想させるが、「キャリー」に合理性があると思えるのはオーケストラのメンバーは機械ではないからである。が、馬が乗り手の技量を瞬時に判定したがるように、指揮者にとって厄介な相手である。それどころか、私の知る限り、彼らのほとんどが内心、指揮者など要らない、自分たちはそれなしでも立派に演(や)れると思っている。世界一のオーケストラ(少なくともそのひとつ)、ベルリン・フィルの首席バイオリン奏者を長くつとめた人物などは、はっきりそう私に名言した。
みな、一流であればあるほど誇り高い上に、岩城宏之説によると「オーケストラの楽員とは一刻も早く仕事を終えて帰宅したいと思っている種族」のことだそうである。
私がベルリンでもウィーンでもなく、サイトウ・キネンを世界一だと思うのは、彼らが自らの演奏に歓びを感じながらやっているのが伝わってくる(しかもレベルが高い)からだが、この同窓会的結合が指揮者小澤征爾にとって安楽な位置を約束してくれるとは限らない。互いが気安いぶんだけ、指揮者と楽員との「宿命的関係」はより顕在化するからだ。
ある年、スキーで肩を痛めた小澤は普段のように腕が振れなかった。するとメンバーから「今年の指揮はちょうど良かった」と好評だった。それまでも「あんまり振られると邪魔だ」「大振りされると困るんだよ、そんなことしなくてもちゃんと弾くから」と言われ続けてきたという。遠慮がないから本音が出る。
「こんな交響楽団が指揮者がちがっただけでどうしてこんな良い演奏ができるのだろう」という聴衆としての体験を何度もしている私は「指揮者不要論」には賛成しない。が、指揮者が本当に「独裁者」になるのは容易ではないことはたしかのようだ。
とにかく、前述のメモリアル・コンサートは演奏者の熱気が聴衆に乗り移り、そこに居合わせただけで幸せな気分だった。そのために私は自分の休みを3日割いたのだが、休み中でいちばん楽しかったのが、「仕事」のはずのこの時間だったことを発見して不思議な気持ちになった。

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