じじぃの「人の死にざま_109_岡・潔」

岡潔 - あのひと検索 SPYSEE
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岡潔先生 NHKアーカイブス 動画
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/04/nhk_1.html
林先生の痛快!生きざま大辞典SP 「世界を驚かせた天才たち」 2014年12月10日 TBSテレビ
【MC】林修 【進行】吉田明世 【ゲスト】板野友美尾形貴弘、志田晶、住田裕子ふかわりょう藤本美貴ホラン千秋、レッド吉田、その他
今回の2時間スペシャルでは、二つの切り口で「超天才」の生きざまに迫る。超天才の生きざまを知ることで人間にとって頭の良さとはなにか? それが幸せにどう結びつくのかを林修先生が解説する。
まずは、世界を驚かせ超天才たちにスポットを当てる。世界一IQが高いとされるマリリン・ボス・サバント。世界を驚かせた日本人天才数学者、岡潔。世界一のハッカーを倒した天才ヒーロー、下村努。などを紹介する。
岡潔
 世界が称賛する天才数学者。教え子には後のノーベル賞受賞者湯川秀樹朝永振一郎がいる。研究内容が難解なため理解できる人が少なく、その業績はあまり知られてこなかった。研究に没頭するあまり、布団の上で勉強するなど奇行が多かったがそこにはある理由が。知人や家族が語る天才の日常とは。
http://www.tbs.co.jp/suitoku/suitoku20141210.html
岡潔 ウィキペディアWikipedia)より
岡潔(1901年4月19日-1978年3月1日)は、日本の数学者。奈良女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1940年)。大阪府大阪市生まれ。
【数学者としての挑戦】
フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数解析函数論に出会うことになる。当時まだまだ発展途上であった多変数解析函数論において大きな業績を残した。周知のように一変数複素関数論は現代数学の雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が三位一体となった美しい理論が展開される。現代数学はこれを多次元化する試みであるということもできよう。解析の立場から眺めると一変数複素関数論の自然な一般化は多変数複素関数論であるが、多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難がともなう。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である。
【教育者の側面】
京都大学時代には湯川秀樹朝永振一郎らも岡の講義を受けており、物理の授業よりもよほど刺激的だったと後に語っている。一時期、広島文理大学時代に精神不安定状態に陥り、学生による講義のボイコットなども経験したが、奈良女子大学時代には、与えられた任務には何事も全身全霊で取り組むという彼の性格から、女子教育に関する論文を書くなど、教育にも心を配った。

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『知っておきたい世界七大宗教』 武光誠/著 角川ソフィア文庫 2009年発行
7大宗教をより深く知るために (一部抜粋しています)
しかし実際には、新渡戸が記したような日本人独特のものの考え方は、日本の古代からうけつがれたものである。その道徳が、神道からくることは間違いない。
新渡戸は日本の道徳、文化を紹介する本の署名をあえて、アメリカ人が注目しそうな「武士道」としたのではあるまいか。
海外で高い評価をうけた数学者、岡潔の著作日本のこころ講談社刊)がある。このなかで岡は、日本人は「情緒をきれいにする」のがたいせつだと考える民族だとする。
ここでいうきれいな情緒とは、神道でもっとも重んじられる「清い」心をさす。
「清い」心をもつ日本人は、ごまかしのない正直な生き方を悟り、まわりの者を思いやって義理を重んじる。神道は、すべての人間が善良であることを前提とした宗教なのである。
外国人のなかに、「日本人は何を考えているかわからない」という者もいる。ユダヤ教キリスト教イスラム教には弁論術があり、外国の知識人に対して考えていることを雄弁に説明できる者が多い。
しかし日本には「言わぬが花」の文化の伝統がある。これは「だれもが義理をわかる善良な人間だから、黙っていてもこちらを気つかってくれる」といいう考えから出ている。
この「言わぬが花」の発想を知らない外国人の目には、「日本人は黙って薄気味悪い」と映るのである。
日本が欧米化して、日本のよい伝統を崩すべきでない。国際化が進む現代においては、神道にたつ日本の文化を外国人に理解してもらうように努める必要がある。そしてお互いの違いを知ったうえで協調していくのである。この意味において、約100年前の著作であるが新渡戸の『武士道』は現在でも有用なのである。

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『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
岡潔 母なる情緒 【執筆者】茂木健太郎 (一部抜粋しています)
多変数解析関数論の分野において、数学史に残る独創的な業績を残した岡潔。絵画や小説などの芸術や、仏教哲学にも通じた岡潔のエッセイは、今でもなお多くの人に読み継がれている。
岡潔の創造性に関する見解が興味深い。『春宵十話』の中で、岡は「頭で学問するものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい」と書く。この情緒に関する見解こそが今日へと通じる岡潔の独創的着眼であり、また私たちが大いに反省すべきポイントだろう。
「情緒」とは何か。この概念を精確に、しかも心を込めて理解できるか否かにこそ、ほとんど全てのことがかかっている。岡潔の言う情緒は、けっして泣いたりわめいたりするような大げさなものではない。
「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている」(「春宵十話」)
情緒には無限のニュアンスがある。
「寂しさ」一つとっても、たくさんの種類がある。そのような心の動きのひだの中に、数学の創造に向かう情緒も確かにある。そのような中空の気配に耳を傾けることさえできれば、その他にことは自動的についてくる。
フランスが生んだ大数学者、アンリ・ポアンカレーの「数学の本体は調和の精神である」という言葉を好んで引用する岡潔。数学はしばしば「人間精神の名誉のために」行われるとされる。脳の中で、感情のシステムは感覚や運動など、さまざまな情報処理のプロセスを統合し、導く動きをしている。どのような根本の情緒を抱くかによって、表出されるものは変わる。作品は、情緒の果実である。
問題は、ある種の情緒は、それが存在すること自体が限られた人によってしか認識されず、社会の中で大切にされることもないということ。
夏目漱石朝日新聞に入社した後に発した言葉「自分の小説は、少なくとも諸君の過程に悪趣味を持ちこむことだけはしない」を初めて読んだ時、岡潔は「平凡なことをいう人だ」と思ったという。「それがどんなに大切なことかがだんだんわかってきた」と書く岡潔。現代の私たちは一体、どんな情緒の中で生きているのだろうか。
「人生というものは、本当に善く生きようとする者にとってはまことに生きにくいものだと思う」(「日本人と直観」)という岡潔の言葉は、現代を生きる心ある人が皆抱く感慨ではないか。時代の支配的な情緒に時に辟易することを知る人はむしろ幸せである。
文化勲章を受けた時、食事の後の懇談で昭和天皇からのご下問に対して岡潔は「数学は生命の燃焼によって作るのです」と答えたという。
生命の燃焼の形式としての情緒。生きる限り続くその気配に自らを浸すこと。陸上の生物が海水の成分と同じ血液に浸ることでしか生きられないように、私たちの精神は母なる情緒を確かに必要としている。

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岡潔の言葉
「人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っています」
「好きにならぬのが不思議です」

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岡潔文庫
http://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/