じじぃの「未解決ファイル_22_エジプトの滅亡」

『科学の謎』未解決ファイル 日本博学倶楽部 PHP文庫 2008年発行
太陽の黒点が増えると好景気に? 黒点と景気の不思議な関係
過去のデータが示す黒点と景気の連動性
いつも私たちの世界を明るく照らし、エネルギーを与えてくれる太陽。その太陽には人間のそばかすのような黒い斑点がある。
この黒い斑点が、世界の景気変動に影響を与えているかもしれないというと、驚かれるだろうか。
太陽にある黒い斑点は一般に黒点と呼ばれる。黒点が黒く見えるのは温度がほかの部分より低いからである。太陽の温度はおよそ6000度であるのに対して、黒点の部分の温度はおよそ4000度、周りに比べて2000度近く温度が低いので、そこだけ輝きが弱く、暗く見える。
この黒点を観察すると、その数や大きさに変化があることがわかる。約11〜22年周期で、増えたり減ったりを繰り返しているのだ。そして、その増減と景気の景気変動が、なぜか一致しているといいうデータがはじき出されているのである。
では、どういった仕組みでこのような不思議なことが起こっているのだろうか。
残念ながら現段階でその答えは得られていない。ただ、過去のデータから明らかに黒点の数と景気の良し悪しに関係性が見られることだけは確かだという。
原因は人の心を操る磁力線?
太陽の黒点の増減と景気が連動する謎について、いくつかの説がいわれている。そのうちのひとつは、黒点の変化が地球の気候に影響を与えているという説だ。
黒点の数が多いときは農作物の収穫量や漁獲量が増え、逆に黒点の数が少ないときには収穫量や漁獲量が減るような気候に変化している。その結果、黒点の数が多いときには世界的な好景気が生み出されているのではないかというのである。
また、別の説では、太陽から放出されている磁力線や太陽放射線が原因としている。磁力線や太陽放射線の量が黒点の増減とともに変化し、それが人の心理に、楽観的になったり、悲観的になったりと周期的な影響を与え、景気の変動につながっているのだという。世界的に楽観的な気分のときには景気が上昇、逆に悲観的な気分のときには景気が下降するという具合だ。
このほかにもいくつかの説があるが、どれも推測の域を出ていない。また、そもそもの黒点の増減と景気の変動の関係性について疑問視する声もある。たしかに過去の観測データから連動性があるように見えるが、単なる偶然ではないか、というものだ。
黒点の増減と景気にどれだけ連動性があるのか、あるのであれば、その仕組みはどうなっているのか、興味深い話だけに、今後の展開にも期待が高まるというものである。

                              • -

古代エジプト 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
古代エジプトとは古代のエジプトの歴史的呼称。ここで起きたエジプト文明は世界四大文明のひとつ。紀元前3000年前後に中央集権的な統一国家となる。紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国支配下に入る前までの時代を指す。
古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。
ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。
アフリカの中南部とは砂漠と山岳によって隔てられているため、アフリカというよりも西アジア地中海文明に近い文明であった。最初の農耕文明とされるメソポタミアから多くの影響を受けているといわれるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け戦いにあけくれたのに比べ、地理的に孤立して外れにあったエジプトは比較的安定していた。
【エジプト古王国時代(第3〜6王朝)】
中央政権が安定。
首都:メンフィス
紀元前2650年頃、ジェセル王が階段ピラミッド造営
紀元前2600年頃、スネフェル王がヌビア、リビア、シナイに遠征隊派遣
紀元前2550年頃、クフ王カフラー王メンカウラー王がギザの3大ピラミッド造営
【エジプト第1中間期(第7〜第10王朝)】
紀元前2200年頃、内乱(第1中間期) (今から約4200年前)

                              • -

BBC地球伝説』 「古代の黙示録:エジプト古王国の滅亡」 BS朝日 9月1日放送
巨大なピラミッドやスフィンクスで知られる、古代エジプト古王国時代。ナイルのもとで安定した農耕を営み、高度な文明を誇った古王国が、今から4200年ほど前に謎の崩壊を遂げた。
自然の計り知れない力の不思議と、古王国崩壊の恐るべき真相が、ついに解き明かされる。
今から4200年ほど前、古代エジプトの古王国が謎の崩壊を遂げる。崩壊の謎に挑み、驚くべき事実を発見したのがエジプト人考古学者フェクリ・ハッサン教授である。教授は、古王国が王ファラオの後継者争いで滅亡したとする通説に疑問を抱いた。そのきっかけとなったのが、1971年に発見された、古王国滅亡直後の州侯アンクティフィの碑文である。そこには、エジプト南部が壊滅的な飢饉に見舞われ、飢えた人々が我が子を食べるに至ったとの、ショッキングな記述があった。果たしてそれは真実なのか。ハッサン教授の30年に渡る検証が始まる。
1996年、エジプト北部のナイル・デルタで、古王国時代末期の9000体に及ぶ骸骨が発掘された。古王国崩壊には、自然環境が関係していると直感していたハッサン教授は、エジプトの恵みの源であるナイル川に注目する。毎年定期的に氾濫し、肥沃な土をもたらすと信じられていたナイル。教授は、実は数年に一度は氾濫時の水位が低く、不作を招いていたことを突き止めるが、それだけでは、150年は続いた古王国崩壊後の暗黒時代は説明できない。
次に教授は、砂漠に目を向ける。植物学者である妻の協力を得て、現在の砂漠も7000年前はサバンナであり、長い年月をかけて徐々に砂漠化したものだと判明するが、やはり古王国崩壊の解明には至らない。
その頃、隣国イスラエルの鍾乳洞の調査で、古王国が崩壊した4200年前に、劇的な気候の変化があったことが分かる。その変化が果たして、エジプトでも起こっていたのだろうか。その答えは意外にも、アイスランドの氷河に隠されていた。自然の計り知れない力の不思議と、古王国滅亡の恐るべき謎が、ついに解き明かされる。
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_03_01.html
どうでもいい、じじぃの日記。
9/1、BS朝日 「古代の黙示録:エジプト古王国の滅亡」を観た。
結論を言ってしまえば、恐ろしいものを観てしまったという感じである。
古代エジプトが絶頂期を迎えた時というのは今から約4600年前、紀元前2600年頃のクフ王の時代であろうか。
それから、約400年後に古代エジプトが滅亡した。いったい何があったのであろうか。
「エジプトはナイルの賜物」というが、ナイル川がほとんど干し上がった時期と重なる時期があったのだ。
肥沃な土地は乾燥し、人々は飢えで餓死する。その当時の土地からは頭の無い、無造作に捨てられ、重なった人間の骸骨が発掘された。飢えた人々が我が子を食べていたことが分かったのである。
地球の気候変動の主な原因として、地球の公転軌道の離心率と自転軸の傾きの周期的変化などから、周期は約2万年単位で変動するというミランコビッチ・サイクルがある。
このサイクルとは違って太陽の黒点の数でも、気候変動があるらしい。
今でも世界で約11億の人がきれいな水を飲めないでいるという。
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20090417/1239938642
今後、石油資源以上に、水資源が重要になることは間違いないようだ。