じじぃの「人の死にざま_39_鴨」

鴨長明 - あのひと検索 SPYSEE
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渡辺知明の表現よみ=方丈記「序」 動画 YouTube
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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
鴨長明 (1155-1216) 61歳で死亡。
鴨長明は、鴨神社系の河合神社の禰宜(ねぎ)の子に生まれたが、若くして父を失ったためにその職をつぐ望みがうすくなった。そこで彼は管絃の修行にはげみ、その才能を認められたが、50近くなってある席で、禁断の琵琶の秘曲をひいたため後鳥羽上皇のおとがめを受けた。ついではからずも、かって亡父が禰宜をつとめた河合神社の禰宜をつぐ機会がめぐって来たというのに、反対が出て、そのことは沙汰止みになった。
彼がこの世に望みを絶って大原の山中に身をかくしたのは、51、2歳のころといわれる。そこに棲むこと5年、さらに伏見の日野山にの奥に、方丈(約3メートル四方、四帖半くらい)の庵(いおり)を編み、そこに棲んだ。
ここで彼が『方丈記』という不滅のエッセイを書いたのは、57歳のときであった。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」
それは源氏がゆらいでいる実朝の時代であった。
これを書いて4年目に長明は死んだ。詳しい状態はわからない。
方丈記』のラストで長明は恐ろしいことを書く。
「さて、私も月が傾いて山の端にかかったように終りに近づき、闇黒の世界に向おうとしている。
静寂な夜明け方、みずから心に問う。お前が世を逃れて山林にかくれたのは、仏道の修行のためではなかったのか。それなのにお前は、姿は聖(ひじり)に似ているが、いまも心は煩悩の濁ったままだ。それはこの貧寒な日々に悩んでいるのか、それともまだ妄念のため心が狂わされているのか。
こう問うて、しかし心はまったく答えない。答えるものが何もないのだ。出来るのは、心にもない念仏を三度唱えるだけだ」
彼は虚無の深淵をのぞきこんだまま死んだのではあるまいか。

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方丈記 鴨長明
 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
 淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし
 世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし
 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり
 或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり
 或は大家(おほいへ)亡びて小家(こいへ)となる
 住む人もこれに同じ
 所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に、わづかにひとりふたりなり
 朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける
 知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る
 また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる
 その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず
 或は露落ちて花残れり
 残るといへども朝日に枯れぬ
 或は花しぼみて露なほ消えず
 消えずといへども夕を待つ事なし
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方丈記』 鴨長明 (現代語訳)
 ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。
 淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。
 世の中に存在する人と、その住みかもまた同じだ。
 玉を敷きつめたような都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、時代を経てもなくならないもののようだが、これはほんとうかと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。
 あるものは去年焼けて今年作ったものだ。
 またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。
 住む人もこれと同じだ。
 場所も変らず住む人も多いけれど、昔会った人は、2、30人の中にわずかに1人か2人だ。朝にどこかでだれかが死ぬかと思えば、夕方にはどこかでだれかが生まれるというこの世のすがたは、ちょうど水の泡とよく似ている。
 私にはわからない、いったい生まれ、死ぬ人は、どこからこの世に来て、どこへ去っていくのか。
 またわからないのが、一時の仮の宿に過ぎない家を、だれのために苦労して造り、何のために目先を楽しませて飾るのか。
 その主人と住まいとが、無常の運命を争っているかのように滅びていくさまは、いわば朝顔の花と、その花につく露との関係と変わらない。あるときは露が落ちてしまっても花は咲き残る。
 残るといっても朝日のころには枯れてしまう。
 あるときは花が先にしぼんで露はなお消えないでいる。
 消えないといっても夕方を待つことはない。
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方丈記
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/houjouki.htm