じじぃの「人の死にざま_20_シュバイツァ−」

アルベルト・シュバイツァ− - あのひと検索 SPYSEE
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Albert Schweitzer - Official Trailer 動画 YouTube
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アルベルト・シュバイツァー (「知ってるつもり?!」) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NROSNav4u_A
朝日新聞社 100人の20世紀 上 1999年発行
アルベルト・シュバイツァ− (1875-1965) 90歳で死亡 【執筆者】藤山清郷 (一部抜粋しています)
晩年のシュバイツァ−はガボン内外の知識階級からの批判にさらされた。独裁者、白人優越主義者、時代遅れ−−。とくに、彼が現地人に繰り返し言ったという言葉「私はお前の兄弟だ。だがお前の兄だ」が、しばしばやり玉に挙がった。
現地人を弟と見るのは、高みから見下しているからだ。彼は現地人を同じ人間としてではなく、救済の対象としか見ていない−−。
シュバイツァ−は反論しなかった。自署『水と原生林のはざまで』の新版のはしがきに「他日、歴史が判決を下すだろう」と書いただけだった。
いまランバレネでは、この種の批判は耳にしない。政府がシュバイツァ−病院を観光の目玉にしようという姿勢を見せていることや、寄付につながる観光客を病院が積極的に受け入れていることと無縁ではなさそうだ。
アルベ−ル・ヌジャベ・ヌジョイ運輸大臣はランバレネの出身で、両親はシュバイツァ−をよく知っていた。彼は胸を張って語る。
「彼は大きな人だった。ヒュ−マニズムの原点はわがガボンにある」
シュバイツァ−は独裁的な人種主義者だったのか、そうでなかったのか。
著書には、働きたがらない現地住民を働かせる苦労話や失敗談が、しばしば登場する。
シュバイツァ−の治療を受けた元ハンセン病患者のピクトル老人は、今も病院で暮らす。博士の「魔法」で自分の病気が治ったと信じている。
「仕事をきちんとしないと、ずいぶんしかられたなあ。だけど、えこひいきはしない人だったよ」
財団のブル−ルマン理事長は、多くの現地スタッフや患者に接してきた。
「あの時代は、兄じゃなければいっしょに働かなかった。今だってそうなんだから」

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
シュバイツァ−
21歳のとき、「30歳までは学問と芸術のために生きよう。それからは人類に奉仕する生活を送ろう」と決心したアルベルト・シュバイツァ−は、その決意の通り、すでに哲学者、宗教者、音楽家として名をなした30歳のとき医学を学びはじめた。それはアフリカの黒人を救済する目的からであった。
36歳で医学の資格をとったシュバイツァ−は、2年後の1913年、アフリカのガボンにある水と原始林に包まれたランバレネに向かい、ここに病院をたてた。
以来50年にわたって彼はここで黒人の治療をつづけ、密林の聖者と呼ばれ、1952年77歳のときノ−ベル平和賞を受けた。
1965年秋、彼は老衰による脳血行不全のため1週間ほど病棟につき、9月4日夜付添いの看護婦がひくオルガンのバッハを聴きながら、午後11時24分静かに息をひきとった。病院の外では、何百人という黒人が暗闇の中に立ちつくして彼のために祈っていた。

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読書日記 2008年 (一部抜粋しています)
寺村輝夫さんを偲ぶ−−『アフリカのシュバイツァ−』のこと」 2007/11/5(月)
「『寺村輝夫の昭和のあしあと 全1冊』
全集には、背表紙の後ろに小さな冊子がつきものだが、
当然ながら、昨年お亡くなりになったばかりなので、追悼文が寄せられていた。
そして、もう一つ悲しいお知らせが入っていた。
 〈寺村輝夫全童話第8巻『寺村輝夫のアフリカ日誌全1冊』について〉
 シュバイツァ−の差別的な言動を具体的に示すために、「土人」という、
 歴史的に先住民に対する差別の意味を持って使われてきた言葉を、
 あえてそのまま引用して使ったのでした。
 そして、意識的に使用しているという著者の考え方を指し示すために
 「土人」ということばに傍点を付し、その文末に(傍点筆者)と
 入れました。
 『寺村輝夫のアフリカ日誌全1冊』の初版刊行後まもなく、
 残念なことに著者・寺村輝夫先生は健康を害し文筆活動から
 離れざる得なくなりました。
 その後、「黒人差別をなくす会」より、差別的な「土人」という言葉を
 使う必要があるか否か、使うのであれば理由を述べるべきではないかとの
 指摘がありました。
 そのため、病気の著者に代わり小社編集部で『水と原生林のはざまで』を
 原文(ドイツ語)と照合するなどの調査をしました。
 その結果、『水と原生林のはざまで』の中に頻出する「土人」に該当する
 原語は「先住民(族)」「その土地で生まれた人」といった意味の
 言葉であることがわかりました。
 日本では現在、「土人」や「原住民」といった言葉の代わりに
 「先住民(族)」という言葉が使われることが一般的です。
 しかし、ドイツ語ではそういう言葉の変遷はなく、当時も今も
 使われている言葉だそうです。
 シュバイツァ−が執筆した当時、その言葉にどのようなニュアンスが
 こめられていたのか、現在では想像することしかできません。
 そして、ドイツ語の「先住民(族)」「その土地で生まれた人」と
 いう言葉が「土人」という日本語に訳されたのは、1957年当時の
 日本社会にあった言語感覚を背景にしていたということになります。
 当時の日本社会にあった黒人に対する差別意識が使われていたのです。
 私たちは、そのことが判明したのですから「アフリカのシュバイツァ−」の
 中の引用箇所も「土人」という言葉を使わない表現に書き改めるのが
 一番いい方法だと考えます。
 しかし、このことが判った2000年当時、既に著者は書き換えをすることが
 難しい病状になっておられました。
 著作権法の精神からすると、著作以外の人間が勝手に言葉を書き換える
 こともできません。
 そこで、非常に残念ではありますが、小社は2001年2月から
 第8巻『寺村輝夫アフリカ日誌全1冊』を出庫停止の措置に踏み切りました。」
   理論社寺村輝夫全童話」編集部」
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/memb/hayashi/2008.html
アルベルト・シュバイツア−の言葉
「本当に幸福になれる者は、人に奉仕する道を捜し求め、ついにそれを見いだした者です。これが私の確信です。」 「悲観主義者はどこでも青信号を見る人のこと。悲観主義者とは、赤信号しか見えない人のこと。そして真の賢者は色盲である」

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余話。
「仕事をきちんとしないと、ずいぶんしかられたなあ。だけど、えこひいきはしない人だったよ」からは人種差別主義者は出てこないと思います。