じじぃの「人の死にざま_19_ジョン・レノン」

ジョン・レノン - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BD%A5%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3/1627605/
Imagine - John Lennon 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E
Stand By Me / ジョン.レノン 歌詞 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=gVUUzkGNNOQ&feature=related
ジョン・レノンの名曲「イマジン」、オノ・ヨーコさん共作と認定 2017.6.16 産経ニュース
ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンの1971年の名曲「イマジン」について、米音楽出版社協会が妻のオノ・ヨーコさんを「共作者」として認めた。米誌ビルボードなどが15日伝えた。
レノンはかつて「(イマジンの)歌詞もコンセプトも多くがヨーコからのもの」と英BBCのインタビューで語っており、「レノン/オノ作」のクレジットを付けるべきだったとの考えを示していた。
http://www.sankei.com/entertainments/news/170616/ent1706160004-n1.html
世界に誇る50人の日本人 「成功の遺伝史」 2013年12月30日 日本テレビ
【MC】たけし&くりぃむ上田 【ゲスト】伊集院光劇団ひとり鈴木奈々武田鉄矢茂木健一郎山岸舞彩荒川静香HIDEBOH星野仙一、Mr.マリック、米村でんじろう、その他
人生には大きな影響を受けた人物が必ずいる…引き継がれたその熱きDNAの「遺伝」の「歴史」→「遺伝史」と名付け、スポーツ選手、映画監督、漫画家、政治家、作家、キャラクター…日本が世界に誇る話題50人のルーツを徹底解剖!
篠山紀信の「いただき」伝説を紹介。歌手のデビュー直後から引退まで撮り続けた篠山紀信は、歌手を見た瞬間に外で撮影することに決めた。汗をぬぐった瞬間を色っぽい!と思った篠山紀信が「いただき!」と思い、撮影した写真を紹介した。
80年代の女子大生ブームの頃、篠山紀信週刊朝日で女性大生キャンパスの春というシリーズ企画を撮っていた。
この頃、篠山紀信はニューヨークでジョン・レノンの新しいレコードジャケットの写真を頼まれた。小野洋子との夫婦愛にあふれた写真が撮りたいと考えて、セントラルパークで撮影した。この写真は2人の代表的な写真となった。しかし、篠山紀信はカラー写真で撮った写真が白黒でジャケットになったことに不吉な予感がしたと語った。3週間後にジョン・レノンが殺された。
http://www.ntv.co.jp/idenshi/
朝日新聞社 100人の20世紀 下 2000年発行
ジョン・レノン (1940-1980) 40歳で死亡 【執筆者】村山正司 (一部抜粋しています)
62年、リンゴ・スターが加わり、4人でレコードデビュー。2曲目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」で、全英ヒットチャートの1位になってしまった。
−−きのう夜あの娘にこういった/僕を喜ばせておくれ/ぼくがきみを喜ばせるみたいに・・・
リバプールのローカルバンドが一気にメジャーになった。「ビッグになる」というジョンの予感は的中したのである。
一種の社会現象だった。ファンの少女たちは群れをなしてビートルズを追いかけ、絶叫し、座席に立ち上がり、ハンカチをぐしょぐよにして失神した。
マッシュルームカットの長髪、えりなしジャケット。彼らが開発した「ユニホーム」も新鮮だった。
63年11月4日英王室主催のロイヤル・バラエティー・ショーが彼らを呼んだ。客席には皇太后やマーガレット王女がいた。
王室が、成り上がりロックンロールバンドに声をかけた−−。それだけでも大きな話題だった。それなのにジョンは曲の紹介でこんなことをいう。
「安い席にいらっしゃるお客さまは拍手をお願いします。あとの方々は、・・・宝石をジャラジャラさせてください」
−−彼女は君を愛しているのさ/喜ぶべきなんだぜ/あの娘は君を愛している/イェーイェーイェー・・・(「シー・ラヴズ・ユー」)
王室を前にして歌ったこの曲は、予約だけで50万枚を売った。
英王室は65年、彼らに大英帝国勲章を贈る。ビートルズの人気は世界に広がり、英国の重要な「輸出品」となっていた。王室には、過去の受賞者から抗議が殺到する。自分の勲章を返上する退役軍人も出た。名だたる階級社会で、ロックンロールは労働者階級の音楽とみなされていた。
だがこんな大騒ぎは、ジョンを次第にしらけさせていった。
−−できるならぼくを助けてほしい/気がめいってしょうがない/そばにいてくれるだけで感謝するよ・・・(「ヘルプ」)
ニューヨーク在住の編集者、飯村昭子さんはジョンが後に語ったこんな言葉を覚えている。
ビートルズが成功したら、ぼくはまだ若かったのに、周りの人間はイエスとしかいわなくなった。本当につまらなかった。そのころヨーコに会ったんだ。ヨーコだけがぼくにノーといった」
前衛芸術家の小野洋子さんと出会ったのは66年11月。日本公演の4ヵ月後だった。2人は69年に結婚する。
ベトナム反戦運動が世界的に盛り上がっていた。そのころからジョンは「愛と平和」を訴えるメッセージソングに傾倒し、活動家とも交際し始める。その頂点が「イマジン」(71年)だった。
−−想像してごらん/国家なんてないと/すべての人々が/平和な暮らしを送っていると・・・
ジョンが住んだニューヨークのマンション「ダコタ・ハウス」7階の部屋で、洋子さんが語る。
「無邪気すぎるとかナイーブだとか、今でもいわれます。でもジョンは、子供たちにもわかってもらいたいと思っていたんです。だから、ロックなんか聞かない人にも通じる大きな歌になったんだと思います」
70年にビートルズは解散する。ジョンは自作の曲で、ビートルズを激しく否定していた。
−−もうビートルズを信じない/自分とヨーコだけを信じる/夢は終わったのだから・・・(「神」)
だが、ビートルズを否定してまでのめり込んだ平和運動は、70年代半ばには勢いを失い、「愛と平和」は次第に陳腐になっていく。
英国の音楽評論家ジョン・ロバートソン氏は「おそらく『イマジン』の後でジョンは目標を見失い、挫折したのではないか」と見る。
ジョンは音楽活動をやめ、沈黙した。その果てに出会ったのはバミューダの嵐だった。
ニューヨークに戻って制作を再開したジョンの歌声は、生気にあふれていた。40歳を前にして家族を持った心境を歌った。若者音楽のロックンロールが大人になった。
−−素晴らしい息子よ/海に舟を出して旅をしよう/でも我慢してくては/とても長い人生なのだから・・・(「ビューティフル・ボーイ」)
ビートルズがのぼり詰めた道を、ジョンは違う方法で再びたどろうとしていたのかもしれない。
その夢は、偏執狂的な男の5発の銃弾で裂け散った。

                      • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ジョン・レノン (一部抜粋しています)
1960年代、世界中の若者を熱狂させたロック・グループ「ビートルズ」のリーダーであったジョン・レノンは1970年「ビートルズ」を解散して以来、日本人の妻小野洋子とひたすら家庭生活に「耽溺」していたが、1978年ごろから活動を再開した。
1980年12月7日、ジョン・レノン夫妻は英国国営放送のアンディー・ピープルズのインタビューを受けたが、このとき、「ではお2人に最後の質問ですが、最近のお2人はプライベートな暮しと安全感についてどう思っていらっしゃいますか」という質問に、ジョンは答えた。「・・・彼女が、ここじゃ道を歩けるわよって言うんだ。それで歩いてみたけれど、まだおっかなびっくりでね。いきなり誰か何か言うとか、とびかかってくるんじゃないかとか、びぐびぐしていて、それがなくなるのに2年かかったよ。今はもうふつうに玄関に出て、レストランにも入れるよ。これがどんなにすばらしいことかわかるかい?」といった。
翌日の8日夜、ニューヨークのスタジオでレコーディングの仕事をし、夜おそく、夫婦で自宅のマンハッタンの高級アパートメント「ダコタ・ハウス」に帰っていった。
2人が車から下りてアパートの入口に歩いてゆくと、待っていた男が「レノンさんですか」と呼びかけた。ジョンが立ちどまると、男は薄笑いしながら、38口径のレボルバーを両手で握ってつき出し、つづけさまに5発発射した。午後10時5分であった。
そのうち2発がジョンを貫通し、ジョンは「撃たれた」とさけんで数歩歩いて倒れた。
アパートのガードマンが駆けつけ、茫然と立っている男に、「何をやったかわかっているのか」と訊くと、男は「ジョン・レノンを殺っただけだ」と答え、「精神鑑定のためにおれを精神病院につれてゆけ」と、いった。
彼はニューヨークに来て1週間の、ハワイ生まれの、やはり日本人の妻を持つマーク・チャプマンという25歳の大男で、狂的なジョン・レノンのファンで、その日の午後サインしてもらったときのジョンの態度が気にくわなかったからだ、といった。
ジョンはほぼ即死の状態であった。妻のヨーコは狂乱状態になり、医師がジョンの死を告げても、「死んだなどといわないで」と泣きさけんだ。
事件を聞いて、アパートの前の広場には次第に数百人のファンが集まって来て、だれからともなく歌い出したビートルズのヒット曲「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」などの合唱が、夜明けまで続いた。

                      • -

ジョン・レノンの言葉
人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう…」、こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
ジョン・レノン Google 検索
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=QcKpS9f5Dc6HkQWY7_CxBA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBEQsAQwAA