じじぃの「未解決ファイル_07_グレート東郷」

戦後悪役の権化 東郷&シーク 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=iLHY-abt29o
悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷 森達也書 岩波新書
笑う悪役レスラー (一部抜粋しています)
「東郷さんに初めてあったときはどんな感じでした」
「家にピストルばかりあったよ。やっぱりやばいんだよね。椅子に座ったらさ、尻に何かゴトゴトあたる。そしたら東郷さんが、危ないから触るなって。もう、家中ピストルだらけ」
「命を狙われていたとか?」
「どうかなあ」
「日系社会から憎まれていたって話はよくきくけれど」
「いやあ、そりぁないんじゃないの。あの人、韓国だからね」
草津は事もなげにそう言った。インタビューを初めて15分も経っていない。僕はしばらく口を開けたまま、草津の顔を眺めていた。数秒の間を置いてから、やっとの思いで確認した。
「・・・・誰がですか」
「東郷さん」
「本当ですか」
「うん、知らなかったのか」
「・・・・お母さんがチャイナっていう噂は前に聞いたんですけど。韓国というのは・・・・」
「韓国だよ」
「・・・・でも、彼も熊本ですよね。父親は熊本からの移民ですよ」
「だから、移民で来たけど、韓国籍だよ」
「・・・・お父さんは在日一世だったってことですか」
「いや、韓国籍だよ」
「じゃあ、熊本から来たってのは」
「嘘なんじゃないの」
突然の展開で、僕はもう、何が何だかわからない。田中が横から、「でも草津さん、どうしてそのこと、ご存じなんですか」と尋ねる。
「本人から聞いたから」
冗談で言ったんじゃないですよね。と僕は念を押す。「うん。冗談じゃない」と草津は答える。
「出身地とか韓国名とかは聞かなかったんですか」
「いやあ、わからん。聞かなかった」
「どういう状況でお聞きになったんですか」
「だから、俺は韓国だよって言ったんだよ」
「サラリと?」
「そう。サラリと。俺はコリアだよって」
奥さんが果物を運んできた。顔を上げた草津は、「おい、あれを持ってこいよ」と言う。
「何言っているんですか。まだお話の途中ですよね?」
呆れたように言いながら奥さんは視線を僕に向けるけれど「あれ」が何のことなのか僕にはわからない。
「一緒に飲めばいい。飲むよな。ビールならいいか」
僕は少しぼんやりしていたようだ。力道山はノースコリア。そして彼が実の兄のように慕った東郷は、草津の話が事実ならばサウスコリア。ともにコリア出身のこの2人が日本のプロレスの礎をつくり、時にはリング上でタッグを組み、アメリカのレスラーたちを蹴散らすそのファイトに、敗戦国日本の国民は熱狂し、自信と誇りを取り戻した。その試合の中継で真価を発揮したテレビは、やがてメディアの覇者となり、拉致問題反日運動などを声高に伝え、日本におけるナショナリズム高揚の大きな潤滑油となっている。
何とねじれた国威発揚だろう。そして何と哀しいナショナリズムだろう。でも誰も知らなかった。誰も気づかなかった。
奥さんが2本の缶ビールと紙パックのワイン、そして焼酎の特大ペットボトルと3つのグラスを運んできた。「オレはこうして飲むんだよ」そう言いながら草津は、グラスに半分ほど焼酎を注ぎ、そこにワインを口いっぱいに足す。
「どうする? おまえら、ビールだけでいいか」
「いただきます」
言いながら僕はグラスを差し出した。草津は嬉しそうにワインを注ぎ、次にビールを足した。
「おまえさんはどうする」
「いや、僕は・・・・」
言いながら田中が僕に視線を送る。
「飲めば」
僕は言う。もう何だっていいや。
「驚いたのか。レスラーも歌手も、K-1だってさ、朝鮮や韓国ばかりだ。だからって、どうってことはない。いいやついれば嫌なやつもいる」

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グレート・東郷 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』  (一部抜粋しています)
グレート・東郷のリングネームでの活躍で最も知られるジョージ岡村(=米国名、George Okamura、1911年? - 1973年12月17日)はアメリカの男子プロレスラー。オレゴン州フートリバー出身。日本名:岡村一夫。出自については諸説あり、父は日本人、母は中国人のそれぞれアメリカ移民であったという説、両親とも日本人で熊本あるいは沖縄から移民したという説、朝鮮半島出身説などが語られていて、真相は不明である。身長168cm、体重100Kg前後。リングネームはブル・伊藤→ジョージ・岡村→グレート・トージョー(東條)→グレート・東郷。

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どうでもいい、じじぃの日記。
じじぃが子どもの頃、力道山の全盛期だった。力道山ルー・テーズフレッド・ブラッシー等をバッタ、バッタ倒していた時代だった。
その時代で過ごしてきたためか、格闘技は好きでずっと見ている。
東金図書館から面白い題名につられて『悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』という本を借りてきた。
フレッド・ブラッシーが出てきた。その中にこんな文章がある。
ちなみにリングを降りれば常識人として知られていたブラッシーは、大の親日家で、子供好き。日本遠征中に知り合った日本女性三耶子さんを、生涯の伴侶としていたことはよく知られている。しかしそのブラッシーはショック死事件から23年後、本国でこんな発言を残している。
「日本では、俺の試合を見て一週間に27人の死者が出た。レスラーとしてのキャリア全体では92人が心臓麻痺で死んでいる。俺は100人を目指していたんだが、だめだったな」
人を殺しておいて楽しんでいるというのもすごい。ブラッシーの殺人はお年寄り用の間接殺人である。
晩年はボランティア活動していて、死んだときは多くの市民が、葬儀にその死を悼んで集まったのだそうだ。人間とは分からないもんだ。
この本は力道山グレート東郷に多くのページを割いている。
じじぃの印象。グレート東郷は日本人を醜悪なイメージで描いた戦争ポスターの日本人に似ている。白目をむき出しにしてニヤニヤ笑い、リング上で劣悪非道なことをする。下駄をはいてリングに上がり「また蹴り」、「塩で目つぶし」などばっかりだ。こんなやつが日本人としてアメリカで活躍していた。日本人の恥さらしだ。アメリカのリングでグレート東郷がリングに出ると、興奮した観客たちが「ジャップを殺せ」と騒いだ。試合の後、グレート東郷が襲われたりしている。
本を読み続けていくと、こんな文章が出てきた。
「場所はクレンショーというところです。トシ東郷(ハロルド坂田)から、グレート東郷の名前は何度も聞いていました。東郷さんは庭でバーベキューやってくれましてね。さんざん飲んでご馳走になった後にリキさんが、いま日本のプロレス人気は少し低迷している。そこで人気を盛り返すために、世界中からレスラーが集まってトーナメント形式で競い合うワールド・リーグ戦を企画している。だから東郷さん、ひとつ力を貸してください。あなたも、それで儲けてくださいと、懇願するように言ったんですよ。そしたら東郷さんが、引退してマンションもいっぱい持っていますから、食うに困るわけではないけれど、お手伝いしましょうと言ってくれて、リキさんがルー・テーズも呼びたいと言ったら、ルー・テーズも知っているから任せてくれと東郷さんが答えて。・・・・で、結局はそのワールド・リーグ戦が大当たりで、低迷しかけていたプロレスは復活できたんです。東郷さんの働きは大きいですよ。レスラーのほとんどはアメリカの国籍なのだけど、生まれた国とか見た目で、ブラジルとかカナダとか選別したのも彼でした。各国の総当たり戦。それがあたったんですよ」
グレート東郷とは何者なんだろう。熊本弁で話をしていたとか、在日朝鮮人だとか、アメリカ生まれの日系アメリカ人であるとか。
1973年、ロサンゼルスで胃がんのため死去。62歳だった。晩年はどんな生き方をしていたのだろう。グレート東郷は謎に包まれた人間だ。
どこかのテレビ局で『グレート東郷を追え!』なんてやんないかな。

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