じじぃの「人の死にざま_13_マザー・テレサ」

マザー・テレサ - あのひと検索 SPYSEE
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アグネス・ポワジュ(マザーテレサ)の人生 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=srL9I8N6e7c
世界一受けたい授業SP 「東大生が尊敬する偉人Best50」 2015年3月28日 日本テレビ
【校長・教頭】堺正章上田晋也 【生徒役】有田哲平、小崎遼太郎、澤田有也佳、高城亜樹高畑淳子千原ジュニア比嘉愛未松尾スズキ満島真之介、LiLiCo、本郷和人、小柳津広志、平木敬、生田幸士、大谷勝、茂木健一郎、その他
現役東大生に聞いた 尊敬する偉人BEST50。
東大生の尊敬する偉人ランキング1位がスティージョブズ
第1位 スティーブ・ジョブズ
第2位 アインシュタイン (物理学者)
第3位 マザー・テレサ
第4位 手塚治虫
第5位 エジソン(発明王)
第6位 レオナルド・ダ・ヴィンチ (コンタクトレンズの原理も発見)
第7位 ヘレン・ケラー
第8位 夏目漱石
第9位 ガウス(数学者)
第10位 坂本龍馬
http://www.ntv.co.jp/sekaju/
TIMEが選ぶ20世紀の100人〈下巻〉アーチスト・エンターテイナー・ヒーロー・偶像・巨頭 徳岡孝夫 訳 1999年発行
【聖者】マザー・テレサ 【執筆者】バーラティ・ムーカジ (一部抜粋しています)
熱狂的愛国主義者であるベンガル人の血が騒いだ。「ピーター・ジェニングズが、今夜はカルカッタから生中継でお伝えします」。わたしの人生で最初にして唯一、生まれ育ったこの偉大な街が脚光を浴びたのだ。ベンガル人は、自分たちの言語、文化、政治、自分たちの町への強烈な愛着を自慢するのが好きだ。世界のどこかの都市が混乱して機能しなくなると、決まって「まるでカルカッタのよう」と言われることには強烈な憤りを感じる。ではなぜアメリカのマスコミが、そのカルカッタにいたのか。それはアグネス・ゴンジャ・ボヤジュという名の、アルバニアから移住してきた87歳の人物の葬儀のためだった。
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1950年代の初頭、ロレット会の学校のわれわれ非キリスト教生徒はマザー・テレサストリートチルドレンや孤児を助けるのを見て、うさんくさく思っていた。あの子供たちを改宗させるために救っているのか。彼女は、ホームレスの女性を対象とした中絶反対運動をしていたが、わたしたちにとっては、週に2回修道女から聞かされる中絶反対の講義と同じで、とくに関心を引くものではなかった。インド政府は、人口爆発の結果がどういうことになるかを小さな女の子にまでわかるようにさせていた。
わたしたちがもっとも面喰ったのはマザー・テレサが、聖地の近くで死ぬためにカーリー寺院へやって来る死期の迫った貧しい人々の世話をすることだった。マザー・テレサの関心は延命にあったのではない。死に臨む彼らに惨めさや孤独を感じさせたくなかったのだ。死を恐れつつ、尊厳ある最後を迎えることにこだわるマザー・テレサの姿勢は、輪廻転生思想の下に、死を、幻影に過ぎない現象世界「マーヤー」からの待ち望んでいた解放とするヒンズー教とは相いれなかった。
マザー・テレサが政府から譲り受けたカルカッタ郊外の地にハンセン病センターを設立して初めて、わたしは、彼女が変わり者というより理想主義者なのだと知った。ハンセン病患者は当時インド全土でも、またカルカッタのいたる所にも見受けられたが、人々はぼろ切れにくるまれた足の上に硬貨を1枚か2枚落としてやるのが関の山で、それ以上の救いの手を差し伸べることは、めったになかった。子供心に、ハンセン病患者が触れた場所に触るだけで感染すると信じていた。町中で一番恐れられていたのは暴力ではなかった。それは、自分たちとは違う種類の人間、貧困者、死にかけている人、つまり『聖書』の言葉を引くなら、「悪疫を患う人」に対する恐れだった。それゆえにわたしは、マザー・テレサの誠実さを疑うことなど、もうできなくなっていた。彼女は例のしつこく改宗を勧めて回るキリスト教徒ではなかった。彼女がハンセン病患者の世話をする姿は、多くのカルカッタ市民の心まで変えた。若い医師たちがボランティアの名乗りを上げ始めた。その中にはクラスメートの伯父さんもいた。そうしたことから、マザー・テレサはそれほど遠い存在ではなくなっていった。彼女がロレット会修道女たちとたもとを分かった時に見放した人々が、今度は彼女を求めていた。
わたしは10代の時にカルカッタを離れ、1973年にもう一度この町に住むために戻ってきた。戻ってきた時には、カルカッタでのマザー・テレサの人気は絶大だった。ロレット会の学生だったころ親しくしていた女性たち、1970年代に名士の妻やボランティアのソーシャルワーカーになっていた女性たちは、マザー・テレサと彼女のプロジェクト、とくにハンセン病センターに身を捧げていた。数年後にわたしは、マザー・テレサが信頼を置くようになったあるボランティアの女性がロレット会修道女学校の卒業生であることを知った。
意識改革を唱える運動というものは、偽善的であるとか、運動のテーマの選択が間違っているとかという非難を受けやすいものだ。マザー・テレサを誹謗する人々は、彼女はカルカッタの貧困を強調し過ぎ、無防備な人に改宗を強制していると責めた。さまざまな困難を抱えたカルカッタで、やればなにがしか達成できるとわかっていた運動を選んだに過ぎないのだと。彼女の活動に対して批判があるからといって、彼女のすべての功績が損なわれたり覆されたりすることはない、とわたしは思う。真の判断基準は、彼女が信奉者を、懐疑的な人を、さらには敵対する人までも、寛容という、一層スケールの大きな行為、もしくは可能性という遠大なビジョンへと駆り立てたのかどうか、ということだ。もし協会が聖人としての奇跡の確たる証拠を求めるのなら、彼女が大勢の人間の心を変えたことこそが、そのもっとも確かな論拠となるかもしれない。

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マザー・テレサ 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
マザー・テレサ(Mother Teresa、本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(Agnese Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者コルカタカルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか6人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

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k-styleのマザー・テレサの言葉(愛と祈り) (一部抜粋しています)
こちらでは、マザーテレサによって残された言葉をとおして、その愛と祈りの生涯を見て行くこととします。
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この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。
マザー・テレサ語る より
マザーテレサは、貧しい人々、病んだ人々を生涯にわたって愛し、助け続けました。
彼女のつくった「神の愛の宣教者会」は、「孤児の家」「ハンセン病患者の家」「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、常に貧しい人々の中のいちばん貧しい人々、病んだ人々、社会の人々から必要とされていないと感じるような立場におかれた人々を、今現在も愛し、助け続けています。
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/teresa1.html
次回の知ってるつもり?!
2000/2/20 放送 「マザー・テレサ&井深八重」
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000220.html