じじぃの「水に恵まれた生活に感謝」

『読まない力』 養老孟子 PHP新書 (一部抜粋しています)
モノの未来に敏感
歳のせいだとと思うが、過ぎたことの影響についてしみじみ考えるようになった。悪くいえば後ろ向き、よくいえば過去から学ぶ姿勢である。モノ不足の時代に育ったから、モノ余りの現代が不思議で仕方がない。いかに物量が大切か、それが身に染みている。
北朝鮮テポドンで大騒ぎだが、あの国は、夜は真黒である。人口衛星からの写真が忘れられない。民生用のエネルギーがないのであろう。そういう国がたとえ武力を誇示しても、長続きするはずはない。戦時の日本と同じである。
逆にモノが豊かだと、モノが不足する事態に創造が及ばないはずである。食糧の自給率が下がり、マグロは絶滅を危惧されている。べつに暗い未来を持ち出して、人を脅かそうというのではない。とはいえ、いまの状況を続けることはできない。それはわかりきったことである。石油も無限に続くわけではない。
テポドンはいわば目先の問題だが、それよりはるかに大切なことは、モノの未来であろう。持続可能な社会がいかなるものかについて、メディアはもっと敏感になるべきである。派手な話題にならないからといってそれに手を抜くのは、根本を考えないという意味で北朝鮮と似ている。国民が食うに困る状態をつくりだす政府は要らない。それはいま繁栄している国についても同じことである。現在の繁栄が未来の貧困を生み出すとすれば、である。
石油、水、魚、食糧、こうした産業は、都会の人の頭にはない。あるのは数字で、数字は感覚に訴えない。「本日の交通事故、死者一名」というのと同じである。その表現には、事故の悲惨さを感覚に訴えるものがない。
モノを見直す時期にきている。「物量に負けた」世代の私はしみじみそう思う。(2006年9月)

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テレビ朝日 世界の子供がSOS!!仕事人バンク!第(4)弾 4月5日 TVニッカンスポーツ・コム
“貧困・災害・重労働ニッポンの技が救う”▽毎日15キロ…水を担ぎ泥水を飲むケニア少女枯れた川底の水が命…日本の井戸職人が挑む▽崩壊…高熱…バラック教室で学ぶベトナム少女…左官職人が奇跡の壁
世界の子供がSOS!!仕事人バンク!第(4)弾◇苦難を強いられている子供たちを救うため、日本の伝統技術を継承する”仕事人”たちを現地に派遣する。第4弾は、石川梨華酒井美紀が調査員として事前に現地を訪問。石川は毎日過酷な水くみに耐えながらも泥水を飲むしかない子供たちがいるケニアへ、酒井は大洪水の被害に悩む小学校の現状を調査するためベトナムへ向かった。ケニアの村にはベテランの井戸掘り職人を派遣。井戸を掘るために必要な竹がケニアにはないため、ある物を使って作業を開始する。ベトナムには、洪水で壊れかけた小学校などを修復するため、2人の左官職人を送り込む。司会は堺正章
http://tv.nikkansports.com/tv.php?site=007&station=0007&mode=14&sdate=20090405&shour=19&lhour=1&category=g&sminutes=00&arg=15&template=detail
どうでもいい、じじぃの日記。
千葉の東金に引っ越してきて、ちょうど一ヵ月である。
鶯の鳴き声で目が醒めるのに幸せを感じている。
今は、桜が満開の時期で、田圃のあぜ道には菜の花が咲いている。
田圃に水がはられて、夜、カエルの鳴き声がするようになった。
暇なもんで、朝、夕がたと散歩している。
千葉は高い山が無いのに、見渡す田圃に水がはられているのが、不思議だ。
ここは、東金市内から、少し離れているため、下水道になっていない。浄化槽を使っているが、水道もなに不自由なく使っている。
魚は九十九里、銚子港から、安く手に入る。
東金では、農家の人たちが2〜3台、車を持っているのが、あたりまえのようだ。
養老孟子著の「モノの未来に敏感」に書かれている石油、水、魚、食糧など当たり前のように、恩恵にあずかっている。
4/5、テレビで「世界の子供がSOS!!仕事人バンク!第(4)弾」を観た。
日本人の井戸掘り職人の親方が、ケニアの小さな村の近くで井戸を掘ってあげるという内容だった。
感動した。
水に恵まれた生活をしていることに感謝。