じじぃの「科学・芸術_487_反粒子・マイナスのエネルギー」

反物質はどこへ−素粒子実験が挑む物質優勢宇宙の謎− 市川温子 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=p1F9-5YQ0u0
特殊相対性理論 エネルギー


反物質 ウィキペディアWikipedia)』より
反物質(antimatter)は、ある物質と比して質量とスピンが全く同じで、構成する素粒子電荷などが全く逆の性質を持つ反粒子によって組成される物質。例えば、電子はマイナスの電荷を持つが、反電子(陽電子)はプラスの電荷を持つ。中性子反中性子電荷を持たないが、中性子クォーク反中性子は反クォークから構成されている。
反物質の消滅】
反物質がどうしてわれわれの住む宇宙では殆ど存在していないのかは、長い間、物理学の大きな疑問の一つであったが、最近その疑問への回答が部分的ではあるが得られつつある。初期宇宙においての超高温のカオス状態の中で、クォークから陽子や中性子が出来、中間子が生まれ、それぞれの反粒子との衝突で光子(電磁波・ガンマ線)に変換されたり再び対生成されていた頃にすべては起こったと考えられている。

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『E=mc2のからくり エネルギーと質量はなぜ「等しい」のか』 山田克哉/著 ブルーバックス 2018年発行
マイナスのエネルギー? より
まず、特殊相対性理論において粒子のもつ相対論的エネルギーの2乗は、式(画像参照)のように表されます。ここで「p」は粒子の運動量を表します。式はプラスのエネルギーとマイナスエネルギーの2つに分かれます。
この2つの式は、2を2乗すると4になる一方、マイナス2を2乗しても4になることと同様です。
 22 = (+2)2
 22 = (-2)2
  これは、プラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも、2乗すればともに E2(この例では22)というプラスの値になることを示しています。
すなわち、プラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも、2乗すればどちらもプラスになるのですが、「2乗する前の粒子のもつエネルギー」については、プラスとマイナスの両方を考慮しなければならないことがわかったのです。
ディラック波動方程式はもともと、電子にあてはめて作られたものですが、特殊相対性理論の要請を満足させるためには「プラスのエネルギーをもつ電子」と「マイナスのエネルギーをもつ電子」の両方を組み込まなくてはならなくなりました。”マイナスのエネルギーをもつ電子”など前代未聞ですが、特殊相対性理論に適合させるためには、この奇妙な電子を簡単に理論から葬り去るわけにはいかなかったのです。
当時の科学者たちは、この「マイナスのエネルギーをもつ粒子」がどのような物理的意味をもつのか、そして、それをどのように取り扱えばよいのか、ということに頭を悩ませました。とうとう最後には、「マイナスのエネルギーをもつ粒子は、時間を逆行して走る」というアイデアを思いついたのです。
時間を逆行して走る? これはつまり、マイナスのエネルギーをもつ粒子は、未来→現在→過去の時間方向に運動するという発想なのですが、これに対する斬新な解釈がもたらされたことで、難題は決着を見ることになりました。
その解釈とは、「マイナスのエネルギーをもつ粒子が時間を逆行して走るとは、プラスのエネルギーをもつ反粒子が時間を順行して走るのと同じことである」というものです。つまり、「マイナスのエネルギーをもつ粒子」を「プラスのエネルギーをもつ反粒子」に置き換えたのです。
ここに、物理学史上初めて、「反粒子」が登場しました。
もちろん、解釈の仕方を変えて、時間を逆行して未来から現在にやってきたマイナスのエネルギーをもつ電子が、現在を境にして通常のプラスのエネルギーをもつ電子に変身し、そのまま未来に帰っていく、ととらえることも可能です。しかし、実際に観測されたことのない”マイナスのエネルギーをもつ電子”が時間を逆行するなんてことは、あまりにもSF的すぎますね。
反粒子を導入することで、粒子もその反粒子も、いずれもプラスのエネルギーをもち、ともに時間を順行するとシンプルに考えることができます。反粒子という卓抜したアイデアを導入することによって、マイナスのエネルギーという難物を”排除”できたのです。
理論の整合性から、粒子とその反粒子はまったく同じ質量をもちます。決定的な違いは、まったく同じ量でありながら、互いに符号が異なる電荷をもつことです。たとえば、電子はマイナス電荷を有していますが、「反電子」はプラス電荷をもっています。プラスの電荷をもつことから、反電子は「陽電子」とよばれるようになりました。
そして、人類が初めて観測に成功した反粒子は、実にこの陽電子だったのです。実験の結果、陽電子は確かにプラスのエネルギーをもち、過去→現在→未来と、ふつうの粒子と同じように時間を順行していることが明らかになりました。
こんにちでは、それが素粒子であろうと、いくつかの素粒子からなる複合粒子(たとえば陽子や中性子)であろうと、すべての粒子にはその反粒子が存在することが証明されています。
唯一の例外が「光子」です。光子は電荷をもたないため、反粒子もまた光子なのです。

じじぃの「上野・不忍池にガン(雁)はいるのか?動物園ではたらく」

マガンの編隊飛行 2015 0315 1737 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IMcVox4gFu8
雁行 (k-yatyou.cocolog-nifty.com HPより)

不忍池 (blogimg.goo.ne.jp HPより)

『動物園ではたらく』 小宮輝之/著 イースト新書Q 2017年発行
ガンの渡りを東京へ より
もうひとつのチャレンジがガンの繁殖です。ガンのなかでも日本に冬鳥として渡ってくるマガン、ヒシクイなどは日本の動物園では繁殖例のない難鳥でした。
なぜ、ガンを殖やしたいと思ったかといえば、学生時代に行った宮城県伊豆沼で、はじめて”鉤(かぎ)になった棹(さお)になって飛ぶ雁行(がんこう)”を見て、東京でも昔のように冬の風物詩であった雁行を再現できないかと考えたからでした。
伊豆沼でのガンの朝の飛び立ちは迫力満点です。まだ薄暗い夜明け前にガンの大群が湖水から舞い上がるのです。源平の富士川の合戦で、卯の刻すなわち早朝、富士の沼の水鳥の一斉の飛び立ちで、平家の兵は恐れおののき、敗走したと伝えられています。これは作り話といわれていますが、伊豆沼のガン群の「ゴー」という地響きのような飛び立ち音は、まさに何万騎もの源氏の軍勢を思わせるものでした。
関東地方にはいま、ガンはほとんど渡ってきません。北海道や秋田県八郎潟を中継地として、宮城県の伊豆沼周辺や北陸地方が現在の越冬地です。しかし、昭和30年代までは東京湾や皇居のお堀でマガンの群れが越冬していました。
江戸の浮世絵師、歌川広重は『名所江戸百景』の「よし原日本堤」の雁行や「羽根田落雁図」「月に雁」など江戸を舞台にした風景にガンを登場させています。棹になり、鉤になり群れで飛ぶ雁行は、秋から冬の風物詩だったのす。
森鴎外の小説『雁』には不忍池(しのばずのいけ)で石を投げたら、ガンに当たったというくだりがあり、池の界隈には雁鍋屋がたくさんあったとあります。”がんもどき”は大豆を使った精進料理で、ガンを食べたいお坊さんたちが代用食としてつくりだしたといわれています。昔は食べるほどたくさんのガンが日本に渡ってきていたのです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
私が子どもの頃は、雁行と言って1羽の鳥を先頭にブーラメンのように飛んでいるガンの群れをよく見たものだった。
ガンは渡り鳥である。
夏場は、シベリアで過ごし、冬場は中国、朝鮮、日本に飛来する。
昭和30年代までは、上野・不忍池にはガンやカモがたくさんいたのだそうだ。
不忍池に、ガンを呼び戻そうという運動があるのだそうだ。