じじぃの「歴史・思想_147_韓国・堕落の歴史・金玉均ら開化派」

悲しきヒーロー 金玉均 朝鮮史Part 13

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j0DV0HmiZgU

大院君 世界史の窓

19世紀後半、朝鮮王朝の実権をにぎり激しい排外、攘夷策をとった。閔氏一族と対立し、壬午軍乱で清に抑留される。帰国後もたびたび政変に関わった。
朝鮮王朝(李朝)国王の高宗の父として大院君の称号を授けられた。高宗の即位に伴い摂政となった1863年から実権を握り、それ以後、19世紀末まで朝鮮の政治史の中で浮沈をくりかえした。
●激しい排外主義
大院君は外戚政権を抑え、両班(文武官僚の地位を世襲した門閥貴族)の勢力を抑えるなど改革を行った。また強まる列強の開国要求に対しては、儒教大義名分論に基づいて、武力によってその要求を拒絶し、1866年のアメリカ船シャーマン号事件、同年のフランス人神父の処刑などの強硬な排外、攘夷策を採った。しかし、その強引な政治には反対する勢力も強く、高宗が成人した1873年に引退した。代わって高宗の后である閔妃とその一族が力を持つようになり、閔氏政権が日本の脅迫に屈して江華条約を締結して開国に応じた。この間、大院君は政権から遠ざけられていたが、宮廷内の抗争はたびたび大院君の力を利用しようとしたので、隠然とした力をふるい、政権復帰の機会を狙っていた。
●激しい政治的な浮沈
1882年、日本と結ぶ閔氏政権との下級兵士の反乱である壬午軍乱が起こると反乱軍に担ぎ出されていったん政権に復帰したが、すぐに介入した清軍によって拘束され3年間抑留された。朝鮮では閔氏政権が復活し、清の力を頼る保守派の事大党が力を持つようになり、日本と結んで改革を進めようとする独立党との対立が激しくなり、1884年に独立党の金玉均らが閔氏と事大党を排除する甲申政変を起こしたが、清が軍隊を派遣し、鎮圧した。その後、朝鮮宮廷にはロシアが徐々に発言力を増しきたため、清の李鴻章は大院君を帰国させ、閔妃に圧力をかけようとしたが、大院君にはかつてのような名声はなく、孔徳里の別荘で書画三昧の生活を送るしかなかった。勝海舟とも絵を交換する交友関係があったという。
https://www.y-history.net/appendix/wh1303-128.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

呪われた帝国の最期──なぜ韓民族は、独立を失うにいたったのか? より

金玉均(キムオクキュン)ら開化派によるクーデター

1884年に、開化派である独立党が日本の支援によって、クーデターを起こした。「甲申政変」である。
独立党は、高宗に弊政改革を図ることを強いた。高宗は宗室、百官などを引率して宗廟を参拝し、改革の推進を誓ったうえで、これを宣布した。
そして李成桂が自主独立国家であった高麗を潰して中国に隷属して以来、使われなかった「朕」「陛下」「詔」「太子」などの皇室用語をはじめて使用することによって、清国の宗主権を否認した。華夷秩序のもとでは、中国だけに皇室があったのだ。
こうして、1392年の李朝開国以来、明と清に隷属した自治省にすぎなかかった李氏朝鮮は、492年後に、はじめて自主独立体制を確立した。
開化派の中心人物は、金玉均だった。彼は、世界の大勢と朝鮮の近代化改革の必要性を、もっとも早く認識した人物であり、21歳で科挙試験に一等の成績で合格した優秀な愛国者であった。

彼は1881年に来日して福沢諭吉らと接触、1883年には最初の近代的新聞「漢城旬報」を発刊し、立憲制度、近代的商工業を紹介した。官位では戸曹参判(財務部次官)等を歴任、王室からも信任された。

そうして「甲申政変」によって政権を掌握すると、政網を公布、最初のブルジョワ改革を行なった。
彼の思想と活動は、当時としてはもっとも先進的で、愛国的思想に貫かれていた。
しかし、当時、ソウルには、1500人の清軍が駐留していたのに対して、日本軍は140人しかいなかった。清軍が出動したため、日本軍が敗退して、独立党の政権は文字どおり三日天下で終った。
李朝500年の閉鎖と暗黒を救うべく、最善の努力を傾注した金玉均と改革派の努力は、再び清国軍の介入と守旧派の妨害によって崩れたのである。
さらには、惰弱にして鈍感、優柔不断で讒言(ざんげん)を好み、事理に暗い高宗は、事大派、守旧派の讒言に唆(そそのか)されて、金玉均ら開化派の亡命先である日本に、刺客(しかく)を送った。
清と李王朝が放つ刺客を逃れて、丸10年にわたって小笠原、北海道を転々とした末に、金はついに日本を出て、清の李鴻章(りこうしょう)と面会すべく、危険を知りながら1894年2月、上海に到着した。そして旅館「東和洋行」に投宿したが、同年年3月22日(陽暦3月28日)、李朝の放った刺客、洪鍾宇によって、暗殺された。44歳の天才は、愛国の大望もむなしく、李王朝の下手人によって最期を遂げた。

ロシア行使館の中で政務を執った国王

高宗も、閔妃も、大院君も、ただ権力を維持するために、その時々、力のある外国と結んで利用し、政治を弄(もてあそ)んだ。このような放逸な政治を行なったことから、1894年に東学農民の動乱が起きると、その乱の鎮定を清に委ねるという愚行を犯し、日清戦争を誘発させた。しかし、高宗も廷臣たちも、何らの責任も感じなかった。
日清戦争の翌年の1896年2月11日の暁(あかつき)、高宗王と王世子は極秘のうちに、宮城から脱出してロシア行使館に居所を移した。これを「俄館播遷」というが、朝鮮の悲劇は、このように一国の主権である君主が、みずから王宮を脱するという怯弱(きょうじゃく)な体(てい)たらくであったことである。

じじぃの「医療崩壊の真相と構図・イタリア死者6000人超!プライムニュース」

感染による死者が世界で2万人超 伊は中国の2倍(20/03/26)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=14M8FGMxjtk

イタリア 死者6000人超

新型コロナウイルス イタリア 死者6000人超 外出規制を一層厳しく

3月 24, 2020 Pars Today
イタリアでは23日、死亡者が新たに600人以上増えて6077人となり、6000人を超えました。
https://parstoday.com/ja/news/world-i60107

プライムニュース 「イタリア死者6000人超 感染拡大の実情と背景 医療崩壊の真相と構図」

2020年3月26日 BSフジ
【キャスター】長野美郷、反町理 【ゲスト】ヤマザキマリ(漫画家・随筆家)、杉本匡史(三重大学医学部附属病院中央検査部助教)、田中理(第一生命経済研究所主席エコノミスト
新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が続くイタリア。10日以降、全土で移動制限措置が開始されているものの、未だ収束の見通しは立っていない。19日には死者数が中国本土を上回って世界最多、致死率も約9%と他国に比べ際立って高い状態だ。
こうした中、治療に携わる医師や看護師は殺到する患者に対応しきれず、医療機材・設備の不足、あってはならないはずの医療従事者の感染など、まさにワーストケースとも言える惨状が繰り広げられているという。さらに、イタリアの多くの産業で生産活動が停止し、世界経済に及ぼす影響の深刻化も懸念されている。
こうした感染者数と死者数の急拡大の背景には、どのようなイタリア社会の実情と課題があるのか?
日本や他の国々はイタリアの状況から何を教訓として、今後の対策に活かしていくべきなのか?
イタリアの医療体制や生活の現実、ここまでの政治・経済の動きを熟知するゲストを迎え、イタリアで何が起きているのかを問う。
●なぜ?感染爆発のイタリア 国民性・文化・社会構造はどう影響?
      死者   至死率

                    • -

イタリア 75032人  10.0%
スペイン  3434人   7.2%
中国    3287人   4.0%
アメリカ  673人   1.3%
日本     43人   3.6%
杉本匡史、「至死率の高さというのは全体から見て重篤者を優先的に治療するかしないかで比率が変わってくる。深刻なのは医療関係者が亡くなっていることだ」
ヤマザキマリ、「イタリアは最初から政治や政治家のことは誰も信じていない国。物事が正しいかどうか自分たちの脳で考えなければいけないという社会。ロンバルディアが封鎖されるとなった時に皆が結構危機感を持ったという感じ。イタリア人は家族と離れ離れになることへの恐怖感がすごい」
田中理、「政府が封鎖するというのが前日に噂のリークという形で出てきてしまい、ミラノ在住の地方出身者が一気にミラノの駅に行って地方に持ち帰ってしまった、感染拡大にもつながったかもしれない。欧州委員会がヨーロッパで取った調査によるとイタリア人は毎日、あるいは毎週どこかで家族と友人と必ず会うというのが6割。これが北部のヨーロッパと比べると非常に多い。家族とのふれあいを重視しているのでこれが感染源になっているのではないか」
ヤマザキマリ、「日曜は必ず実家に戻らなくてはいけない、家族や近所の人と10人ぐらいで食事をして2時間も3時間も喋っている」
田中理、「ビジネスの立場で出張でビジネスマンと面会しているときもイタリア人はバーっと話し始める位イタリア人はお話が大好き」
●“感染爆発”で“医療崩壊” 今イタリアの医療に何が?
日本とイタリアの医師数・病床数(2016年・人口1000人あたり))
【日本】
病床数 13.11床
医師数 2.43人
【イタリア】
病床数 3.17床
医師数 3.95人
イタリアの看護師の悲痛な叫び。
「残念ながらもう医療を維持できない。感染があまりにも深刻で死者数も数えられない」
「いますぐプロの人材が必要。もう時間がない」
杉本匡史、「イタリアという枠組みで一致団結ができているのかというと各都市ごとで引っ張り合いや駆け引きもあったりするのかと思う。たとえば医療現場に人工呼吸器などがローマからやってこない。イタリアの病床数が少ないのは国としてはベッドを減らして、人件費を削減したいから」
田中理、「イタリアの医療水準は高い。高齢化が進んでいるということは医療水準は高いことを意味している。ただ財政の関係で病床数が次第に少なくなっている」
●“感染爆発”で“医療崩壊” 「命の選択」ガイドライン
・イタリア麻酔鎮痛集中治療学会(SIAARTI)ガイドライン

「集中治療室が限られている状況下では高齢で回復が望められそうもないもの、余命の短い者より助かる見込みの高い患者を優先する」

3月16日に発表されたもの。
反町理、「かなり厳しいと思う。このガイドラインは医師として問題があると思うが」
杉本匡史、「現場で死者がたくさん出て医療資源が限られて上限に達してしまい助けることができない状況で、実際に働いている医療従事者の側が助けたくても助けることができない個人的な葛藤にさいなまされてしまう。その中でも刻々と変わる状況に対応しなければいけない。学会として限られた資源で、こういう判断をしても私達はあなたをサポートしますという声明として出された」
ヤマザキマリ、「80代の神父が自分の人工呼吸器を若い人に譲って亡くなったことを大きく報道されているということは、こういう状況が受け入れられているという1つの告知になる。人工呼吸器は足りない状況だがフェラーリフィアットが協力して人工呼吸器を製造する形で同意をしたというニュースが出ていた」
田中理、「イタリアでもともと人工呼吸器を作っているメーカーは1社しかない。EUとして足りない医療資源を提供するなり医療スタッフを派遣するなり然るべきだが、各国で感染拡大して医療資源が足りなくなることが目に見えている中でイタリアにばかり回すわけにいかない現実がある」
●なぜ?感染爆発のイタリア 聖職者の死者続出の背景
カトリックの儀式・感染拡大について。
イタリアで約67人のキリスト教の聖職者が死亡→信者が重篤になると聖職者が呼ばれ臨終に立ち会う儀式の際に患者から感染。
ヤマザキマリ、「イタリアでは高齢者のもとを神父が訪ねたりするのが当たり前。家族の誰かが苦しんだり何かをしなければいけないときは家族全体がそれを見守っている状態。今回神父がいなければ一人ぼっちで、亡くなる前のお祈りさえなく死んでいくというのは悲しみの極みになる」
杉本匡史、「亡くなっていく患者に対し緩和的医療が何も行うことができず、それをするだけの余裕もなく、十分なケアができないまま亡くなっていく現状を非常に悲しく思うと現地の医療者がリポートしていた」
ヤマザキマリ、「今日“戦争”という言い方をイタリアの家族がしていたが、戦争でも置き換えられないぐらい、なぜこんな目に遭わなくてはいけないのかと、家族と触れ合うことが間違っていたのかと根幹からゆるがすような疑念が湧いてきてしまっている。ある意味での天災に対してただ向き合って壁を乗り越えていくしかないという意識をイタリア人と話していると感じる」
●“感染爆発”窮地のイタリア 中国「支援」の真意と行方
イタリアと中国の新型コロナを巡る動きについて。
中国の医療チーム約20人と支援物資がローマ到着、習近平主席がコンテ首相との電話会談で感染対策の支援を約束、中国の別の医療チームがミラノ着。
杉本匡史、「スタッフと物資が有り難いということと、おそらく武漢での経験がある方たちが送り込まれることが強いサポートになると思う。中国も責任感があり実際のスキルがある人を送り込んでいるのではないか」
ヤマザキマリ、「イタリアの人は中国からの医療支援について感謝していた。日本人がアジア圏を見ているレイヤーはヨーロッパ人にはない。否定的な見方は一切していない。それぐらい彼らは切羽詰まっているという考え方も出来る。些末なところに何かを向けてわーっとやるのはナンセンスだと歴史で学んでいる部分がある。全体として考えてみると、そこで中国に対して怨嗟を抱えたから何と答えは出ない。中国との経済的繋がりは深いので結束はそのまま継続されていくのではないか」
【提言】 「イタリアの現状から学ぶべきこと」
ヤマザキマリ 「緊張感」
 イタリアと日本の緊張感が違う。これからどうなるのか分からないので緊張感を持つべきだ。
杉本匡史 「油断」
 日本はこんな状態でちょっと勝てるかなという感覚があるかもしれない。油断をしないように。
田中理、「分散」
 エネルギー資源のように過度な資源に依存しないこと。医療物質など1つのところからだけ輸入しないこと。
https://www.fnn.jp/subcategory/BS%E3%83%95%E3%82%B8LIVE%20%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

じじぃの「歴史・思想_146_韓国・堕落の歴史・大清皇帝功徳碑」

三田渡碑


李氏朝鮮は「何」から独立したのか? ── 「独立門」に見る韓国の歴史歪曲

ソウル特別市松坡区石村洞 ── 通称「三田渡(サムジョンド)」に、とある一つの意味深な記念碑が残されています。
その名を『大清皇帝功徳碑(テチョン-ハンジェ-コンドッビ)』(建立地に因んで「三田渡碑(サムジョンドビ)」共呼ばれている。以下、『三田渡碑』と略)と言います。(右写真上) この記念碑のレリーフ(右写真下)をよく見ると、奥の最上段に座す人物に対して、中央の人物が「土下座」している様が見て取れます。実は、中央の人物は当時の朝鮮国王・仁祖(インジョ)であり、奥の人物 ── 清朝皇帝アイシンギョロ=ホンタイジ(以下、「皇太極」と略)に対して、「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」と呼ばれる、支那皇帝に対して臣下がとる最大級の礼法 ── 同時にさせられる者にとっては最大の恥辱でもある ── を以て「許しを請う」ている場面がレリーフとなっているのです。
http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/geionmon.html

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

「屈辱の碑(いしぶみ)が教えるもの」――こうして朝鮮は、すすんで清の属国になり下がった より

ソウル市内にいまも残る、屈辱の碑

今日、ソウル市松坡洞に「三田渡碑(サムジョンドビ)」という高さ5メートル70センチ、幅1メートル40センチの堂々とした石碑が立っている。私の家から歩いて11、2分のところにある。これは、朝鮮史を浮き彫りにする史蹟である。わたしたちは過ぎ去った歴史を真正面から見据えて、そこから教訓を学ばねばならない。失敗の歴史こそ、明日へ向けた活力とせねばならない。
これは清の太宗の頌徳碑(しょうとくひ)で、名称を「大清皇帝功徳碑」と言うが、韓国では「恥辱碑」として知られてきた。大韓民国の史蹟第101号に指定されている。
この碑は「丙子胡乱」の後、清の太宗が仁祖の降伏を認めたうえで、自らの功徳を記述したもので、表面の左側にはモンゴル語、右側には満語が刻まれ、裏面は漢文が用いられている。
清軍によって南漢山城を包囲された仁祖王がどうなったのか、「大清皇帝功徳碑」の文章を要約してみよう。
 「大清崇徳元年、冬一二月、寛温仁聖皇帝(豊かな恩恵と、神聖で思いやり深い清の大宗)は、朝鮮が紐帯(ちゅうたい)関係を破ったために大いに怒り、武力を行使して、東方(朝鮮)へ進撃した。国(朝鮮)内に入ったら、対抗する者はまったくなかった。
    ・
  寡君(仁祖)はやむをえず、文武諸臣を集めて、『私が至らなかったために、自ら天による懲罰を招来し、民百姓を死の間際に追いやった。その罪は、私一人にある。それにも関わらず、皇帝は自重され、屠戮(とりく、皆殺し)することを控えられた。このような有難い論旨に接し、慎みてその意を頂き、宗廟社稷(そうびょうしゃしょく)と我が生霊を保全するほかない』。したがって、数十騎を先頭に立てて、清の軍営前に至り、罪を咎(とが)めるように請うた。ところが、 皇帝は礼を持って応対され、恩恵を持って慰労しながら、礼物(相手に敬意を表わすために贈る品物)を下賜(かし)された」
仁祖はこの時、それまで軽蔑していた胡服(こふく、北方の蛮夷の服)を着て、松坡の三田渡に設けられた「受降壇」において、屈辱的な降服を行った。「受降」とは、降伏を受け入れることである。
仁祖王は「受降壇」において、清の太宗に向かって9回、地面に頭をつけて、叩頭(こうとう)する拝礼を行なったうえで、清からの一方的な和約を結ばされた。1637年1月30日のことだった。

清の属国となった李氏朝鮮

「大清皇帝功徳碑」に戻って、要約を続けよう。

 「礼が終了すると、寡君を都城に帰らせて、撤収し、離散した百姓を慰め、農耕を勧奨した。人々が古巣に帰れたことは、すばらしい幸福であった。
  我らの小国が大国(清)に対して罪を犯してから久しい。
    ・
  皇帝は大軍を率いて南漢山城を包囲し、江都(ソウル)をたちまち陥落させ、嬪宮(王の妾たち)、王子、大臣などの家族が皆捕虜となったが、高低は諸将に対し、危害を加えないように命じられ、侍従官員と内侍に眼を配るように求められた。このように恩恵を施したために、小国の君臣と捕虜であった家族達が、再び以前と同じく、冬が春に代わり、旱魃(かんばつ)が雨によって潤うように、その身を安んずることができた。国は滅亡の瀬戸際から救われ、宗廟社稷が崩壊から再生した。
  こうして東国(朝鮮)の数千里の国土が全て蘇る徳を蒙(こうむ)ったことは、 古代からの書籍にも稀にしか見られないことである。ああ、何と立派なことだろうか。
  三田渡の南側に、皇帝が駐蹕(ちゅうひつ、行幸中にとどまること)された所に、祭壇場がある。我が君は水部(工人)に命じて、祭壇を増築し、石を磨き、碑を立てて、永遠に遺して、皇帝の功徳が、天地調和するのと同じことであることを顕(あらわ)した。我々小国は、代代、末永くこの徳を仰ぐのみならず、 どのような国であっても服従しなければならない大国の仁義と、勇猛なる義理が、この根本になっていることを、 深く心に刻むものである(後略)」
仁祖は清の太宗に遜(へりくだ)り、皇帝に対して自らを臣を意味する「后(きさき)と呼んだ。
この日以降、李氏朝鮮は明に代わって、清の元号を用いるようになった。仁祖17年といった国王の在位年による数え方は、公式のものではなく、便宜的なものでしかない。元号1つとっても、日本が歴史を通じて自国の元号しか用いなかったのと較べると、韓民族がいかに不幸な歴史のなかを生きてきたのか、と長嘆息させられる。

じじぃの「世界が注目・ドイツでも知られているKAKEBO(家計簿)!日曜スクープ」

HOW TO USE THE KAKEBO BUDGETING METHOD : THE JAPANESE ART OF MINDFUL SPENDING

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wf6gzdGJSQg

ドイツでも知られている「KAKEBO(家計簿)」

あのころ「自由」は輝いていた ── 自由学園の建物と羽仁もと子

2017/4/23  Yahoo!ニュース
羽仁もと子は、明治六年、青森県八戸市に生まれ、報知新聞を経て、『家庭之友』を発刊、『婦人之友』に改める。日本初の女性ジャーナリストであり、また家計簿の創始者でもあった。
一生に渡って、キリスト教プロテスタント)を基幹としながら、女性解放運動とともに、自然と家族と生活をベースにした意志の自由(押し付け、詰め込みではない)による教育を貫いた。歴史家の羽仁五郎は娘婿、映画監督の羽仁進は孫、エッセイストの羽仁未央は曽孫に当たる。つまり明治から、大正、昭和を経て、平成にまで続く、脈々たる進歩主義の家系といっていい。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170414-00000012-wordleaf-soci&p=2

実はアメリカでも知られている「Kakeibo(家計簿)」

2018.04.10 アメリカ不動産投資の成功術
日本で開発されてアメリカで広まったものは多々あります。
古くは1960年代の漆器から1980年代のウォークマン、また1990年代の青色発光ダイオード等、日本で誕生したものが世界に受入れられたのはそれなりにあるものです。
そんな中、実はマイナーながらも最近アメリカで評価されている日本発の技術(と呼んでいいはず)に「Kakeibo(家計簿)」があります。
「家計簿」という概念はもともと日本初の女性ジャーナリストであった羽仁もと子さんが1904年に考案されたものです。
http://www.kerealtyconsulting.com/2018/04/10/4582/

日曜スクープ

2020年3月22日 BS朝日
【司会】山口豊大木優紀川村晃司(コメンテーター) 【ゲスト】今枝宗一郎衆院議員/医師)、高山義浩(沖縄県立中部病院感染症内科)、岡田晴恵(白鴎大学教授)
新型コロナ“大規模流行"防ぐために…政府の専門家会議が新たな「見解」“爆発的な患者急増"を警戒 ▽集団感染が相次いだ韓国…方針転換で向き合った危機
●世界が注目・今週のニッポン ドイツが注目・日本の家計簿
ドイツの週刊新聞・クライスボーテ「日本式のすばらしい方法で貯金に成功するかも!?」。
「KAKEBOというエキゾチックな響きの言葉の裏には日本の素晴らしい節約術が隠れている」と、家計簿を紹介。
明治時代、日本で最初の女性ジャーナリスト・羽仁もと子が考案したとされる。
羽仁は「家庭を会社のように経営しよう」と提唱。
今では「KAKEBO」は英単語にもなっていて、欧米や中国でも紹介されている。
●ニュースの核心に迫る!“時事論考”
【ゲスト】牧野愛博(朝日新聞編集委員
韓国・新型コロナ・大規模感染で方針転換・医療崩壊危機。どうする日本。
韓国では、これまで検査で陽性となった人全員を入院させていたが、治療方針を転換。
症状を4段階に分け重篤、重症者を優先的に治療。
軽症、無症状者は生活治療センターまたは自宅隔離にした。
生活治療センターは軽症者を病院以外の施設で隔離する施設。
医療スタッフが常駐し毎日2回、体温と呼吸器の症状の有無をチェックを行う。
必要に応じて胸部エックス線検査も行う。
政府の呼びかけで、サムスンやLGなどが社員用の施設を次々と提供。
https://www.bs-asahi.co.jp/sunday_scoop/
どうでもいい、じじぃの日記。
3月22日、BS朝日 「日曜スクープ」を観た。
●世界が注目・今週のニッポン ドイツが注目・日本の家計簿
ドイツにも家計簿はあるが、日本の家計簿(KAKEBO)の方が優れているという。
ドイツの家計簿にも入金、出金の欄はあるが、日本の家計簿には入金、出金の欄の他に「残高」欄があって便利なのだとか。
残高を記入することで、残りの生活費を考えるようになるのだとか。
考案者の羽仁もと子さんは、あの映画監督 羽仁進の祖母です。

じじぃの「歴史・思想_145_韓国・堕落の歴史・西洋文明との出会い」

パンソリ(春香伝) Korean traditional performance

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5ZOzZSrpnFw

Matteo Ricci

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

血と涙と、号哭(ごうこく)の声――圧政下に咲いた民衆文化の精華 より

西洋文明との出会いに見る、日本と中韓の違い

李氏朝鮮と西洋との最初の出会いは、1601年にイエズス会のマリオ・リッチが、西洋人の宣教師としてはじめて北京に入ったことから始まった。
イエズス会は1534年に、フランシスコ・ザビエルを含む7人の修道士によって結成された。リッチは中国では利瑪竇(りまとう)として知られたが、北京に滞在した間に口述による多くの著作を刊行して、天主教と呼ばれたキリスト教はもちろん、西洋の暦学、天文学をはじめとする科学や、知識を紹介した。
リッチは世界地図を中国へはじめてもたらしたが、それまでの中国の地図は尊華卑夷(そんかひい)に基づいて、中国を世界の中心に置いて、せいぜいインドぐらいまでしか記されていなかった。リッチの五洲を描いた世界地図は、中国のまわりを東夷、西戎、南蛮、北狄の蛮族が囲んでいるという儒教的な華夷秩序を覆す力を持っていた。
1603年、李朝の使臣が北京から、ロッチによる「欧羅巴(ヨーロッパ)国輿地図一件六幅」を宮廷に持ち帰ったのをきっかけとして、李氏朝鮮に西学の書籍が流れ込むようになった。許+「竹かんむりに均」(きょきん、朝鮮最初の陽明学者)も北京でこれらの書籍に接したが、他の使節が伝えたものを閲覧したのだろう。しかし、李氏朝鮮儒教によって呪縛されていたから、このような新しい知識の流入を拒(こば)み、異端として排斥した。
日本は安土桃山時代になって、ザビエルをはじめとする南蛮の宣教師が到来すると、幼児のように旺盛な好奇心を持って、新しい知識や品々に接した。1543年に南蛮船が種子島に漂着して、はじめて鉄砲を伝えると、短期間でその技術を吸収して、4、50年には世界で最大の鉄砲保有国となった。
これは李氏朝鮮儒教の教えを崇(あが)めて、匠や、実学である技術を末技として賤視したのと大きく違っていた。日本では、李朝で西学とよばれた洋学に拒否反応を示すことがなかった。
夜郎自大(やろうじだい)」という表現は、中国の西南部にいた夜郎という野蛮人の小国が、漢の強大さを知らなかったために、漢の使者に対して尊大に振る舞ったことを嘲笑(あざけ)る言葉である。しかし、中国も李氏朝鮮も、まさに夜郎だった。そのために、19世紀に入って西洋の脅威に曝(さら)されると、近代化することができず、国を滅ぼした。

春香伝』と『忠臣蔵』の違いとは?

洪吉童伝』は4章で紹介した『春香伝』と並んで、韓国民にもっとも親しまれ、人気が高い作品である。
春香伝』は李氏朝鮮の小説だが、『洪吉童伝』と違って作者が不詳である。17世紀末から18世紀初期にかけて、長い物語に節をつけて、しぐさを織り交ぜながら歌うパンソリの歌い手によって作られたといわれる。
洪吉童伝』と『春香伝』は、ともに両班による民衆に対する過酷な搾取をテーマにしている。たしかに『春香伝』は、両班の嫡子と妓生(キーセン)あがりの退妓の娘が相思相愛の間柄になり、階級の絶対的なタブーを超えて結ばれる恋の物語である。
    ・
日本で『洪吉童伝』や『春香伝』と同じように、国民によってもっとも愛され、人気が高い歴史的な作品といえば、何といっても47人の赤穂浪士による仇討ち劇である『忠臣蔵』であろう。藩主が江戸城内で刃傷沙汰(にんじょうざた)に及んだために、切腹を申し付けられ、取り潰された赤穂藩の浪士が、家老の大石良雄に率いられて艱難辛苦(かんなんしんく)を重ねた末に、見事、主君の遺恨を晴らしたという史実に基づいている。
私は、ここにも李氏朝鮮と江戸時代の日本とを分かつ際立った違いがみられると思う。
洪吉童伝』と『春香伝』が李朝苛斂誅求な暗い社会を主題としているのに対して、『忠臣蔵』のほうは武士の主君への、ひたむきで純粋な忠誠心をテーマとしている。
つまり日本は、李氏朝鮮を通じて儒教を吸収したが、儒教をすっかり浄化して、忠をもっとも重要な価値とする日本型の儒教に作り変えたのだった。「忠」という概念を行動哲学の中心に据える考え方は、中国にも韓国にも生まれなかった。
江戸時代の日本文学は、日本のシェークスピア(1564-1616年)として知られる近松門左衛門(1653-1724年)の『曾根崎心中』のように、大きな商家や、その手代を主人公にしたものが多く、日本の町人が豊かな消費生活を営み、庶民が今日の日本と同じように享楽的で、旺盛な物欲を持っていたことを示している。
シェークスピアの戯曲が、王侯貴族を主人公としているのと対照的である。近松は大石や赤穂浪士と同じ時代に活躍したが、李氏朝鮮では李氏中期に当った。江戸時代の日本ほど、庶民が自由で豊かな生活を享受していた国は、世界になかった。
元禄時代は日本の経済力が急速に増し、町民が贅沢に耽(ふけ)ったことから、幕府が民衆に対して奢侈(しゃし)を禁止する令を出したほどだった。

じじぃの「アマゾン・新型コロナウイルスは世界をどう変えるのか!プライムニュース」

Amazon warehouse

Online education gaining momentum in China

Amazon、米国で10万人の追加雇用を発表。新型コロナの影響で通販需要が急増

2020年03月17日 Engadget 日本版
新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的な流行に伴い、外出を控え、買い物ものもネットで済ませる人が増えています。
このため、ECサイトの配送では需要の増加に伴う人手不足が発生しており、米Amazonではこれに対応するため、米国で10万人の追加雇用を行うと発表しました。
https://japanese.engadget.com/jp-2020-03-17-amazon-10.html

プライムニュース 「コロナショックで分断 “自国主義”の危うさ どうなる?世界の秩序」

2020年3月23日 BSフジ
【キャスター】竹内友佳、反町理 【ゲスト】宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)、熊谷亮丸(大和総研常務取締役チーフエコノミスト)、水野貴之(国立情報学研究所准教授)
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、安倍政権は日本への入国制限強化を欧州全域に拡大すると明らかになった。またアメリカは、すでにイギリスを除く欧州全域からの入国を禁止。「移動の自由」や「単一市場」を標榜するEUでも、域内諸国が相次いで国境封鎖。欧州委員会EU域外からの不要不急な移動を30日間制限する計画を加盟国に提案している。
グローバル化によって発展してきた国際社会が、ナショナリズムの台頭で行き詰まりを見せる中、今回の事態による「ヒト・モノ・カネ」の寸断は、反グローバル化の流れに拍車をかけることになるのか?
一方、新型コロナウイルスから一足早く立ち直りの兆しを見せる“震源地”中国と感染拡大の渦中にあるアメリカだが、覇権をめぐる対立は今後、どのような様相を見せ、世界の秩序はどう変わるのか? 政治・経済・外交…様々な視野から今後の世界の行方を読み解く。
●中国の存在感と国際秩序
熊谷亮丸、「特にイタリアなどは一帯一路には腰が引けている。イタリアから見ると中国から病気をうつされた。そこで医者を連れてこられてもそんな虫の良い話はない。確かにヨーロッパから見ればファーウェイは完全には排除できない。しかし今回のコロナウイルスの事で明確に距離を置いていく可能性が高いのではないか。今回の事で距離は広がっていく」
水野貴之、「ウイルスは人が媒介して運ぶ。どれだけの人が移動しているのかで予測ができる。問題はこの後。一帯一路の話の時にアフリカの話が出てくる。アフリカに中国寄りの封じ込め作戦が効くと、アフリカに対する中国のプレゼンスが高くなる。南アフリカあたりは医療が進んでいる。一方、ナイジェリアやエチオピアなどが医療的に弱く中国への依存が強い。何とか日本がウイルスを抑えてアフリカに影響力を持たせたい」
宮家邦彦、「中国のアフリカ援助といっても援助を受ける国にはメリットがない。中国人による中国人のための援助だ。アフリカの人々にもそれが分かってきている」
新型コロナウイルスは世界をどう変えるのか
【熊谷亮丸の提言】 「グローバル資本主義の転換点~近代からポストモダンへ」
熊谷亮丸、「2000年代、株主の利益だけが重視されてきた。これから大きな流れとして資本主義4.0といって人が大事な資本主義になっていく。従業員を大事にして働きやすくすれば企業収益が上がり株が上がる。新たな資本主義の段階に入ってきた。グローバル資本主義の良い点を生かしながら悪い点を是正するような改革が必要。ソサイエティ5.0は経団連がやっているが、そういう形で離れていてもいろんなことができる社会。遠隔の診療や遠隔の事業を可能にしていく。行政の手続きはオンラインでもっとできるようにしなければならない。今回をきっかけにレジャー産業や小売り業、豪華客船は厳しい状態。飛行機も搭乗率が減っている。他方でリモートの産業や医薬品などがプラスの影響が働く。行き過ぎた株主の短期的な利益だけが重視をされるというバランスの悪い資本主義は曲がり角を迎えるのではないか」
【宮家邦彦の提言】 「経済を除く政治社会文化面でのグローバル化は後退する」
宮家邦彦、「1920年代はロシア革命ができてソ連ができた。社会主義が出てきて国家社会主義ナチスになった。資本主義で是正ができるのか。1920年代の社会主義が戻ってくる感じがする」
熊谷亮丸、「グローバル資本主義は様々な問題を抱えている。資本主義を止めて社会主義になっても問題は解決しない。日本などでも公益資本主義を唱えている人がいる。資本主義の中で問題を解決するのがベスト」
宮家邦彦、「今ソ連に代わる共通の敵がいる。中国は資本主義。これに対して英知を結集できるのか勉強していきたい」
【水野貴之の提言】 「オンラインによるグローバル化
水野貴之、「1つは教育のグローバル化。もう1つはサプライチェーン。大学のグローバル化はオンライン授業がある。米国は教育は普通の人でさえ高い。オンライン化されると世界中の日本人までが米国の授業を受ける。そこで日本の大学もムーク(MOOC)を始めたが、日本は集めて授業をしないと落第してしまう。オンライン授業の履修率は5.5%。オンラインが優れているポイントがある。今一斉に世界中が力を入れている。小中高のオンライン化が世界的に次のポイント。台湾ではオンラインに対応できるように今の時間を使って準備が進んでいる。無理だと言っていた英国でさえオンラインに切り替わっている。輸入のシステムでは日本は覇権から外されてしまう。米国と中国のデジタルの覇権争いに日本が遅れようとしている。新型コロナウイルスの状況下で教育機会の不均衡が起こった時にオンライン化が重要。学校に行くようになったらそのシステムは止まるかもしれない。イノベーションは既存で良い技術があり衰退してきて、新しい技術を生み出す。今回の危機やショックはイノベーションを起こす。新型コロナウイルスで利益を上げているのがアマゾンだ。しかし、対面で事業を行なうことも非常に大事だ」

反町理、「日本のオンライン・サービスは貧弱で、新型コロナウイルスで一気にアマゾンの勢いが加速するということか」

水野貴之、「日本には既存のシステムがある。これを越えてリスクを取れるかどうか。イノベーションの種を産まないといけないのではないか」
https://www.fnn.jp/programs/primenews

じじぃの「歴史・思想_144_韓国・堕落の歴史・李朝・朱子学」

儒教朱子学


   

近世の朝鮮王朝 ~両班朱子学

<⑤儒教朱子学
朝鮮王朝が重んじた朱子学とは、儒教の中の学説ないし理論体系の一つです。儒教とは、中国・春秋時代の思想家・孔子に始まる思想・学問。朱子学は、中国・南宋の時代の人・朱熹(1130-1200)が体系化した新しい儒教の学説・理論です。
http://s-yoshida8.my.coocan.jp/sub17.htm

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

恨(ハン)の半島は、いかにして生まれたか――両班(ヤンパン)の成立、過酷な身分差別と士族の腐敗、女性蔑視 より

李朝は、韓民族をいかに歪めたか?

李朝では、国王が立法、司法、行政、軍事などの全権を独占していた。そして実際には、党派抗争に勝った士大夫や両班たちが、国王の名においてかぎりない虐政を行なった。ほとんどの王が世襲により社会的経験もまったくなかったことから、暗愚そのものであった。李朝500年のあいだ、27代にわたって続いた王のなかで、聡明な君主といえば数人しかいない。
社会構造は、国王を権力の頂点として、王族・両班(上級官吏)・中人(技術系の中・下級官吏)・常人(一般市民)・賤民(せんみん、下層民)の順序になっていた。賤民は奴婢・俳優・医者・巫女・白丁などの多くの職種についた下積みの人々から成り立っていた。もっとも、宮廷や両班の元に出入りする医者は中人に属していた。
私は李朝身分制度を調べながら、19世紀後期に諸外国が李氏朝鮮を1つの国家だと見做(みな)していたのを、あらためておかしく感じた。というのも、李氏朝鮮は国家としての体(てい)を全く成していなかったからである。
階級制度が複雑に入り組んでいて、両班をはじめとする上の階級がそれぞれ下層の人々を蔑視して、行動を監視する仕組みになっていた。民衆が反抗することはきわめて難しかった。
李朝は高麗の社会秩序を徹底的に破壊して、新しい体制を強(し)いるために儒教イデオロギーとして採用し、韓族が2000年近くにわたってその心の支えとしてきた仏教を仮借(かしゃく)なく弾圧した。仏教は高麗時代に隆盛をきわめたが、李朝儒教以外の教えや信仰を異端として排撃した。
寺や仏像が全国にわたって破壊され、僧侶は賤民の身分に落とされた。仏僧や尼はソウルの東大門、西大門、南大門、北大門の4大門の中へ入ることが禁じられた。寺がみな山奥へ逃げ込んだために、人里では木鐸(ぼくたく)の音が完全に絶えた。寺が山から降りてこられたのは李朝が滅びてからのことだった。
李朝は中国を模倣して社会の儒教化を進めた。そのために高麗時代までは同姓の間で結婚することができたのに、1000年以上も前に祖先が同じだったというだけで、結婚することが許されなくなった。再婚した女性の子孫は、官吏登用試験である科挙を受験することができなかった。
儒教こそが本家の中国を2000年以上にわたって退廃させたのにもかかわらず、その儒教を骨組みとした階級制度を作り上げることによって、民衆が身動きすらできないようにがんじがらめに縛りあげてしまった。李氏朝鮮こそが、今日の不自然きわまりない韓国病を産みだしたのだった。

なぜ、労働が蔑視されたのか?

李朝は、儒教のなかでも、空理空論を好んで弄(もてあそ)ぶ朱子学を奉じたが、正義感の強い者や賢い人は妬(うと)まれて排斥され、葬(ほうむ)りさられた。儒教は徳の高い名君が上に立つ国家を想定しているが、それは表向きのことで、事実はまったくその逆であった。

親への孝行と絶対的な服従と、長幼の序が厳しく守られた。そこまではよかったが、支配階級である両班は、勤労することを厳しく禁じられ、そして空疎な学問を至上なものとして尊んだ。
そこでは労働が卑(いや)しいものであり、常民以下の仕事とみなされた。額に汗して働く者は蔑(さげす)まれた。両班不労所得階級だった。
李朝末期のソウルに駐在したH・B・シル米公使が回想録に、高宗がアメリカ公使館を訪れた時に、アメリカの公使館員が庭でテニスに興じているのを見て、「どうしてあのようなことは召使いにさせないのか」とたずねたと記しているのは、有名な逸話である。