じじぃの「歴史・思想_63_世界史大図鑑・スプートニク・ショック」

Sputnik Remembered; First Satellite Launched 4 Oct. 1957

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MdSIuMWK4Ag

SOVIET FIRES SATELLITE INTO SPACE

SOVIET FIRES SATELLITE INTO SPACE: IT IS CIRCLING THE GLOBE AT 18,000 M.P.H.; SPHERE TRACKED IN 4 CROSSINGS OVER U.S.

Moscow, Saturday, Oct. 5--The Soviet Union announced this morning that it successfully launched a man-made earth satellite into space yesterday.
http://movies2.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/1004.html

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

全世界の人々がこの衛星を指さしている スプートニクの打ち上げ(1957年)

1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて、宇宙空間の状態を観測した。3ヵ月間軌道にとどまったのち、地球の大気圏にもどって焼失した。
スプートニクが象徴したのは科学の躍進だけではなかった。西側との冷戦のただなかにあったソ連にとって、これはめざましい障害でもあり、軍事的・政治的に甚大な波及効果があった。アメリカは核攻撃の脅威をより強く感じるようになる。ソ連はいまや超大国としてアメリカに衝撃を与え、「宇宙開発競争」が勃発して、技術の優位をめぐる両国間の必死の競争がはじまった。

アメリカの追走

スプートニクは「宇宙時代」の到来を告げる出来事としてメディアで大々的に採りあげられ、世界じゅうの人々の想像力を掻き立てた。1958年までにアメリカはアメリカ航空宇宙局NASA)を創設したが、1961年にソ連がユーリイ・ガガーリンを地球の軌道に送り、宇宙へ出向いたはじめての人間とした際には、ただ見守っていることしかできなかった。
アメリカは1962年にジョン・グレンを軌道へ送り出してこれに追いつき、1967年までにサターンVという、月まで到達できる力を持つロケットを作った。1969年、スプートニク1号の打ち上げから12年後に、アメリカのアポロ11号から月におり立ち、月面を歩いた最初の人間となる。

じじぃの「胃がん・次世代シークエンサーとドライバー遺伝子?おしゃべり図鑑」

Sanger Sequencing of DNA [HD Animation]

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3M0PyxFPwkQ

ネアンデルタール人は私たちと交配した スバンテ・ペーボ(著) 2015年 Amazon

著者は、古代のDNAを復元するという困難な研究に、世界にさきがけて取り組んだ。
長年の試行錯誤の末に、衝撃的な新技術「次世代シーケンサー」でついに約4万年前のネアンデルタール人のDNAの増幅に成功する。そのDNAは、非アフリカ人のホモ・サピエンス―日本人を含むアフリカ「以外」の現生人類すべてに、数パーセント共有されていた!つまり、約5万年前にアフリカを出た現生人類は、中東でネアンデルタール人の遺伝子を取り込んで、世界中に広がっていったことの証拠が明らかにされたのだ。世紀の発見を成し遂げた科学者が、30年以上の苦闘のすべてを明かす。

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『おしゃべりながんの図鑑』

小倉加奈子/著 CCCメディアハウス 2019年発行

胃のがん 次世代シークエンサーとドライバー遺伝子? より

大腸がんのところで、発がんを引き起こすものとして、ゲノム異常とエピゲノム異常があるという説明をしました。胃がんも、そして、ほかのがんにおいても同様です。
近年、次世代シークエンサーと呼ばれる画期的な網羅的遺伝子解析の方法が登場しました。今までは、遺伝子のこのあたりに異常がありそうだなと予測を立てて遺伝子異常がありそうだなと予測を立てて遺伝子異常を見つけていたのですが、この方法では、がん細胞の遺伝子全体を調べ、簡単にたくさんの遺伝子異常を検出できるようになりました。
しかし一方で、あまりにたくさん遺伝子異常が検出されすぎて、この遺伝子異常って「がん化のどの部分に作用しているのだろう? どのくらい悪さをしているのだろう?」というのが、解明しきれなくなっています。
そこで登場するのが、統計的な解析です。たくさんの症例の遺伝子を調べ、高頻度に異常が認められた遺伝子を、ドライバー遺伝子と名づけることにしました。現在は、このドライバー遺伝子をターゲットにしてその機能を調べたり、新薬を開発したりする研究が進んでいます。
さて、こういった次世代シークエンサーを用いた研究の中で、胃がんは大きく4つのタイプに分けられそうであることがわかってきました。ちょっと難解な医学用語が続きますが、①染色体不安定性胃癌 ②ゲノム安定性胃癌 ③EBV陽性胃癌 ④MSI陽性胃癌の4つです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ネアンデルタールと現生人間ホモ・サピエンスとではどこが異なるのか。
この問題にチャレンジしたのが、現在ライプチッヒのマックスプランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボだった。
彼は長年の試行錯誤の末に、衝撃的な新技術「次世代シーケンサー」で、ついに約4万年前のネアンデルタール人のDNAの増幅に成功する。
次世代シーケンサー・・・ランダムに切断された数千万-数億のDNA断片の塩基配列を同時並行的に決定することができる
実は、がんを含むほとんどの病気は、染色体異常、遺伝子異常によるものらしい。
今後の医療は、次世代シーケンサーを用いた個人のゲノム情報からの診断・治療になるといわれている。

じじぃの「歴史・思想_62_世界史大図鑑・フルシチョフ」

The history of the Cuban Missile Crisis - Matthew A. Jordan

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bwWW3sbk4EU

Cuban missile crisis

Cuban missile crisis, (October 1962), major confrontation that brought the United States and the Soviet Union close to war over the presence of Soviet nuclear-armed missiles in Cuba.
https://www.britannica.com/event/Cuban-missile-crisis

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

われわれはにらみ合いをつづけていたが、いま向こうがまばたきしたらしい キューバ・ミサイル危機(1962年)

1962年10月15日から28日までの13日間、世界は核による破壊の瀬戸際に揺れた。ソヴィエト連邦の指導者ニキータ・フルシチョフキューバ核兵器を配備したのを受けて、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがその撤去を要求し、双方が核戦争の可能性があることを警告し合った。1950年代から、両超大国は膨大な量の核兵器を備蓄していた。相互確証破壊(MAD)の原則では、ソ連が西側を攻撃すれば、西側も確実に報復する。アメリカとキューバは相互協力の歴史を築いていたが、1959年1月1日にキューバ革命が起こり、参謀総長にフルヘンシオ・バティスタが大統領をつとめる政府をフィデル・カストロが覆したあと、状況が変わっていた。

通商停止措置

カストロ共産主義の傾向を示していたにもかかわらず、アメリカは彼を急場の支配者と認めた。キューバ経済においてアメリカは大きな存在だったが、カストロはその支配力を崩そうと、補償なしですべての産業を国有化しはじめた。これに対抗するため、アメリカは全面的な通商禁止措置をとり、カストロソ連に支援を求める。共産主義がひろがるのを恐れたアメリカはキューバ政府の転覆を試み、1961年4月に中央情報局(CIA)が支援するキューバ人の亡命者たちがピックス湾に侵攻したが、失敗に終わった。
1961年にはまた、核弾頭を搭載したジュピター・ミサイルを15機、アメリカがトルコに配備して、必要が生じればソ連を攻撃できるように準備を整えた。トルコはソ連と国境を接していたため、これはソ連領土への直接的脅威と見なされた。

最後通牒

フルシチョフは、断固とした姿勢で臨むようソ連の強硬派から圧力を受けるようになる。この圧力と、盟友キューバアメリカの攻撃から守りたいとの思いから、フルシチョフは核弾頭搭載可能のミサイルをキューバに配備した。1962年10月14日、U-2偵察機が撮影した写真に、ソ連が建設中の核兵器施設が写っていた。ケネディ政権の軍の参謀たちはすぐさまミサイル施設を攻撃するよう求めたが、ケネディはさらなるミサイルの設置を防ぐためにキューバ海上封鎖する策をとった。ケネディは、フルシチョフに撤退を要求する最後通牒を突きつけ、核戦争の可能性が差し迫っていることを世界に伝えた。一方でフルシチョフは、ソ連船舶の船長たちにそのままキューバの港へ向かうよう命じた。

膠着状態からの脱却

舞台裏で必死の外交がおこなわれ、膠着状態を破る取引が提案されるに至った。フルシチョフキューバにある核兵器をすべて撤去すれば、ケネディがトルコのミサイルを秘密裏に取り去ることに応じるという取引だ。フルシチョフはこれに合意したが、条件として、アメリカがキューバ侵攻の計画を中止することを求めた。
10月28日、フルシチョフは自国の船舶を引き返すよう命じ、危機は回避された。超大国はより慎重になり、核戦争の脅威は小さくなった。

じじぃの「ラグビーW杯2015年・エディージャパン・南アフリカから歴史的勝利!スポーツ世紀の番狂わせ」

【Rugby WorldCup2015】 日本vs.南アフリカ ハイライト(2015.09.19)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vZKvRScreJk

ラグビーW杯 決勝トーナメント組み合わせ表

絶妙オフロードパス

ラグビーW杯】 日本、初の決勝トーナメント進出 スコットランド破り1次リーグ全勝2019年10月13日 BBCニュース

ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は13日、横浜国際総合競技場で1次リーグA組の試合があり、日本(世界8位)が28-21でスコットランド(同9位)を下し、悲願の決勝トーナメント初進出を決めた。
日本は4トライを挙げボーナスポイントも獲得。勝ち点を19にのばし、A組を1位で突破した。
日本は20日東京スタジアム(東京都調布市)で、B組2位の南アフリカと準々決勝を戦う。
https://www.bbc.com/japanese/50035503

『スポーツ世紀の番狂わせ 世界が驚愕した、まさかの88試合』

鉄人ノンフィクション編集部/編 鉄人社 2019年発行

エディージャパン、巨人・南アから歴史的勝利 2015 ラグビーワールドカップ 日本 34対32 南アフリカ より

2015年9月19日、プールBは南アフリカと日本の一戦で幕を開ける。「スプリングボクス」の愛称を持つラグビー南ア代表は、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の1995年、白人黒人の混合チームでRWCに初出場し、決勝でニュージーランドを破り優勝(この快挙はクリント・イーストウッド監督の映画「インビクタス 負けざる者たち」の題材にもなっている)、2007年大会での2回目の優勝を含め、RWCで過去4敗しかしていない。他を圧する雄大な体格でボールを奪い、密集を制圧し、80分間の試合を支配する世界最強のラグビー。日本が50点、60点差で敗れても不思議ではなく、実際、試合前にブックメーカーが出した勝利オッズは南ア1倍、日本34倍と言う大差だった。
このラグビー界の巨人と相対する日本代表を率いたのが、2012年から監督に就任したエディー・ジョーンズである。2003年EWCで母国オーストリア代表を率いて準優勝、2007年の大会では南ア代表のテクニカルアドバイザーとして優勝に貢献した実績抜群の指導者だ。日系アメリカ人の母と日本人の妻を持つジョーンズは、小さな体の日本人が世界に勝つための厳しい鍛錬を選手に課し、これまで一度も勝てなかったウェールズ、イタリアに勝利するなど、一時、日本の世界ランキングを9位まで引き上げていた。
しかし、しょせんは南アの敵ではない。日本は初戦をあきらめ、第2戦から勝利をめざし、あわよくば決勝トーナメント進出を狙う。試合前、誰もが考えたシナリオである。が、試合が始まると、世界のラグビーファンは衝撃の光景を目にする。
FB(フルバック五郎丸歩がロングキックを蹴り込み、南アの選手がカウンターアタックそ仕かけると、日本の選手たちは複数でタックル、次々にボールを奪う。タックルするや瞬時に起きあがり、またタックル。3年半の過酷なトレーニングと反復練習によって、勝つための反射的動作を体に染み込ませていた。
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奇跡の勝利をものにした日本はその後、サモアアメリカを破ったものの、スコットランドに敗れ、決勝トーナメント進出はならず。一方、プールBを1位で抜けた南ア(アメリカ戦は64体0の完勝)は事実上の決勝戦と言われたニュージーランドとの準決勝を18対20で惜敗した(3位決定戦ではアルゼンチンに勝利)。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ラグビーW杯は10月13日 日本はスコットランドを28-21で下して4連勝を飾った。
日本は、1次リーグA組首位で初の8強入りを決めた。
ラグビー日本代表初のベスト8進出 スーパープレー“オフロードパス”とは
オフロードパス・・・タックルを受けながら出すパスのこと
日本は、決勝トーナメントで強豪南アフリカと当たる。

これで優勝したら、ラグビーを日本の国技にしようぜ。

じじぃの「歴史・思想_61_世界史大図鑑・毛沢東」

ついに「長征」を宣言した習近平氏、米国との持久戦を覚悟

2019年6月4日 日経ビジネス電子版
5月20日、長征の出発地を訪れた習近平国家主席は「今こそ新たな長征に出なければならない」と国民に呼びかけた。
米中貿易交渉は行き詰まり、対立が激化している。米国との争いの短期決着は諦め、持久戦に持ち込むとの宣言とも取れる。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00019/053100056/

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

長征は宣言であり、プロパガンダ隊であり、種蒔き機でもある 長征(1934年~1935年)

1933年秋、中国共産党は壊滅寸前だった。国民党が国の支配権を握り、中国南東部の江西省にあった共産党の拠点に大きな攻撃を仕掛けた。1934年10月、共産党は拠点を放棄し、国民党による包囲網を突破することを余儀なくされた。およそ8万人の兵士が6000キロメートル、368日間に及ぶとてつもない旅に出発した。これは「長征」として知られるようになる。
のちに指導者となる毛沢東に導かれた共産党員たちは、空からの爆弾や機関銃で襲撃され、地上でも国民党軍からしきりに攻撃を受けた。行軍は主として夜におこなう、敵に発見されにくくなるよういくつもの隊列に分かれて進んだ。
目的地までの道のりは、雲南省の山岳地帯や広大な荒野があった。中国北部の安全地帯にたどり着いて、共産党の新拠点を築くまでに多くが餓死し、はじめにいた8万人のうち、生き残ったのは8000人にすぎなかった。しかし、むしろこの偉業は苦難に対する勝利と見なされ、中国共産党の存続をたしかなものにした。

国の統一

1895年、中国は日本に軍事的大敗を喫した。第1次世界大戦中の日本による中国への攻撃を受けて、反日感情がふくれあがる。1919年にヴェルサイユ条約で、中国にあった元ドイツ植民地が日本の手に渡ると、大きな抗議の声があがった。そういうなかで、共産主義が支持され、1921年には中国共産党が結成される。国民党の躍進もあり、1920年代の半ばまでには国家統一に向けた動きがはじまった。

上海での大虐殺

1926年、蒋介石のもとで国民党は共産党と協力して北伐をおこない、地方軍閥に支配されていた領土を取りもどした。この遠征のあいだに共産党が力を増し、激しい対抗関係から1927年4月に上海で国民党が共産党に攻撃を仕掛ける事態となった。数えきれないほどの共産党員が捕らえられ、拷問を受ける。この大虐殺を皮切りに、長年にわたって共産党に対する弾圧がはじまり、党員たちは江西省の田舎に退いた。

生き残るための苦闘

長征のあと、中国共産党は北部で再編された。国民党と共産党は、1937年に日本が中国に侵攻するとしぶしぶ手を気まざるをえなくなった。1939年までに、北部と東部の大部分が日本に征服された。第2次世界大戦で日本が敗れたのち、国民党と共産党の緊張関係はふたたび激しくなり、1946年の内戦につながる。両軍がそれぞれ50万人以上の兵を動員した大規模な戦闘がつづいたのち、共産党が勝利した。1949年10月1日、毛沢東中華人民共和国を建国する。
長征は驚くべき忍耐力を示す勲功となった。それは、生き残った者に深い使命感を与えるとともに、宿命的な革命闘争のリーダーとしての毛沢東のイメージを強めた。

じじぃの「異型と分化度・がん・治る人治らない人?おしゃべり図鑑」

大腸癌の分化度

大腸癌の組織分類について

組織の分類を考える上で、「分化度」という概念があります。
これは、その癌が発生した背景となる顔(組織)にどれだけ似通っているか、ということです。高分化癌から低分化癌になるにつれ、本来の大腸粘膜からほど遠い人相というわけです。
http://www.iiharaiin.com/add_cpi_cancer3.html

『おしゃべりながんの図鑑』

小倉加奈子/著 CCCメディアハウス 2019年発行

「分化」の定義 より

どうして、同じがんになっても治る人と治らない人がいるのでしょうか。「末期がんをこんなふうに克服しました!」というような話もよくありますが、専門家の私たちからすると、「分化度がよかったのかな?」「そもそも、そのがんの診断自体合っていたのかな?」など様々な疑念、邪念が頭によぎります。それは極端な例ですが、同じ臓器に発生したがんにおいて治りやすいか否かは、何で決まるのでしょうか。
これには、いくつかの要因があります。
いちばん大きな要因は、どのくらい早くがんを発見できたのか、ということです。
早期発見ががんの治療に最も大切なことは、様々なところで見聞きされているかと思います。悪性腫瘍は放っておくとどんどん大きくなり、血管やリンパ管を介して、ほかの臓器に転移をきたす可能性があります。できるうる限り早期の段階で見つけて治療するのが、いちばんです。そして、ほかの主要な要因の1つとして、分化が挙げられます。

分化度が低くなると悪性度が高くなる より

例えば、大腸癌は特に高分化な癌が多いのですが、高分化な癌とは、もともとの大腸の粘膜の構造に類似した特徴を有しているものをいいます。元の細胞の特徴からどんどん逸脱していくと、中分化、低分化、未分化……となり、分化度が落ちる、分化度が低くなる、と表現します。分化度が低い癌は、先祖返りをするような状態に近いですから、無秩序に増殖しやすく、悪性度が一般的に高くなります。
同じ臓器に発生したがんでも、治る人治らない人がいるのは、実は、この分化度が深く関係していることもあるのです。
プチ講義の冒頭で、異型の話をしました。異型と分化度も、密接に関係しています。分化が低くなればなるほど、もともとの細胞の形態も細胞が集団で形作る構造も失われていくので、核異型も構造異型も強くなるといえます。

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どうでもいい、じじぃの日記。
治るがんと治らないがん。
同じがんでも治る人と治らない人がいるのはなぜか。
いちばん大切なのは、「早期発見」だ。
「ほかの主要な要因の1つとして、分化が挙げられます」
分化・・・何も特徴を持っていなかった細胞(未分化)が、形態や機能などの特徴を持っていくこと
例えば、大腸の細胞は、粘液を分泌したり水分を吸収したりする機能を持ち、細長い特有の形態を持つ。
このように「高度に分化した」細胞は、分化度が高くがんになりにくいらしい。
老人力」とかいうが、わたしゃ、も少しちゃんと分化した細胞がほしいです。

じじぃの「科学・芸術_911_パレスチナ・イスラエルとの非対称性」

Palestine flag

パレスチナを知るための60章』

臼杵陽、鈴木啓之/編著 赤石書店 2016年発行

イスラエルパレスチナの非対称性 国家主体と非国家主体 より

イスラエルパレスチナ関係は強者と弱者の関係である。これはイスラエルが経済、軍事面で圧倒しているだけでなく、イスラエルは国家であるのに対し、パレスチナは非国家であるためだ。そのためパレスチナは交渉の場を自ら設定できず、イスラエルは有利な場で交渉を進めてきた。この非対称な関係を示すに当たり、本章ではイスラエル政府をイスラエル、その対となるパレスチナ自治政府ヨルダン川西岸とガザ地区パレスチナ自治区パレスチナ人を便宜上まとめてパレスチナと呼びたい。
非対称性について、まず経済面を見てみたい。2013年度の統計によると、単純な1人当たりのGDP差ではおよそ12倍、貿易面ではパレスチナの対イスラエル貿易は貿易総額の約70%と依存している一方、イスラエルの対パレスチナ貿易はわずか3%しかない。またパレスチナの関税等をイスラエルが代理徴収し、還付するという制度が存在するが、その額はパレスチナの税収の約3分の2を占めている。イスラエルが何らかの理由で税還付をやめることで、この制度が制裁の道具として機能している。同様に全パレスチナ人労働者のうち約16%はイスラエル国内と入植地で働いているが、イスラエル軍の検問はしばしば彼らをイスラエル労働市場から締め出すこととなる。このようにイスラエルパレスチナの「人・モノ・カネの移動」を容易に遮断することができる立場にある。
続いて軍事面だが、2014年のガザ紛争だけをみても、イスラエルの死者は民間人と兵士を合わせても67人であるのに対し、パレスチナは2251人、その内の3分の1は子どもであり、その一方的な関係が見て取れる。さらにヨルダン川西岸に設置された分離壁イスラエルの絶対的優位な軍事力を象徴している。
そして何よりも重要なのは、国家主体と非国家主体の関係という現実である。イスラエルは国家として1949年に国連で承認されているが、パレスチナは2012年に総会での投票権のないオブザーバー国家として承認された。この違いによって、イスラエルがテロなどの理由でパレスチナを交渉パートナーとして認めないといえば、あらゆる交渉がストップする。
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1993年のオスロ合意でアメリカ以上に重要な仲介者はノルウエーであった。このとき、ノルウェー政府ではなく、社会学者テリエ・ラーセンが交渉のきぅかけを作った。アメリカを主な仲介者としてきた両者にとって、ノルウエーという新しい仲介者は交渉の「横道」を作り出し、合意終結に重要な転機となった。同時に、PLOとの接触を禁じた法律が廃止されたこともこれを後押しした。
オスロ以降では、2003年の和平への「ロード・マップ」に代表されるように、「カルテット」と呼ばれるアメリカ、ロシア、EU、国連といった大国、国際組織が仲介者の役割を果たしていくこととなった。注目したいのは、EUや国連といった国家の枠組みを超えた組織が重要な役割を担い始めたことである。前述のとおり、パレスチナはオブザーバー国家であるため、国連総会での投票権を持たない。しかし、2014~15年の総会決議だけでみても、イスラエルに対して避難決議は20回行われ、同時に議論されたイラン、北朝鮮、シリアにはそれぞれ1回しか行われなかった。さらに、国連下部組織のユネスコや、独立した国際機関の国際刑事裁判所へのパレスチナの加盟など、国際機関を舞台にしたパレスチナ外交の盛り上がりを示している。EUでも、2014年のスウェーデンパレスチナ国家承認やイギリス下院での承認決議といった動きは、欧州を迂回してイスラエルへの大きな圧力となっている。